始めまして、曽我 彰彦です。

2011年10月 小布施便り

2011年10月18日

書こうか書かまいか悩んでいましたが、書きます。普段は酒の話しは一切書かないのですが、、、、。
私達の酒造りの師匠 平山積さんが今年の3月31日、愛する奥様のもとへ旅立たれました。享年90歳。奇しくも小布施の酒造りの終わる春の初めに天国の奥様のもとに帰られる(例年、師匠は酒造りの最中は家に帰らず会社に長期泊まり込みをし、春になると家に帰るのでした)という最後まで杜氏らしいお姿でした。

2005年の春、平山さんが私達の蔵を去ることになったその時の言葉はいまでも忘れません。
平山さんの奥様は晩年、アルツハイマーになられてしまい日常生活に支障がでてしまい、酒造りをやめ奥様の介護に専念をするとのことでした。当時すでに平山さんのお歳が80歳を超えるご高齢でしたので老老介護を危惧した私達は奥様を施設に入れることを勧めましたが、平山さんはそれを拒みました。平山さんは{60年以上、泊まり込みの酒造りをしていたのでカアちゃんには随分苦労かけた。だから今度はオレがカアちゃんの面倒をみるんだ}{カアちゃんはボケちまったけど、今はそのカアちゃんが可愛いくて仕方ないんだ}と言って、私達の蔵から去っていきました。60年以上酒造りに生涯を注いできた平山さんから酒造りを奪ってしまうことの意味は私達の想像を超えるものがあったはずです。それでも平山さんは迷うことなく酒造りではなく、奥様の介護をとりました。

平山さんに教えていただいたことは醸造のテクニカルなことから、人生論まで沢山あります。ひとつ披露します。平山さんからは{和醸良酒}
を身をもって教えていただきました。この言葉は、当時若造の私には{和醸良酒}の意味が判っているようで実は全く理解できていなかったことでありましたがワイン造りの世界に入って10年経ち、ようやくその心がわかるようになってきました。この考えは私達のワイン造りにも多大な影響を与えています。

私は4月1日に最後のお別れをしてきました。その安らかな顔に再度私は涙しました。


2011年7月10日

1)春から初夏にかけての気候

2010年(昨年)も春は寒くて、ブドウの芽吹きはとても遅れていたのですが、今年はさらに遅いです。こんな年は
初めての経験。幸いにも、芽吹きが遅かったため、毎年脅威となっている遅霜(おそじも)の害はほとんどありませ
んでした。私達はビオディナミストではありませんが、毎年遅霜も危険性のある時期を天体の月の満ち欠けで判断し
ています。もしかしたら、迷信かもしれませんがこのあたりでは古くからのいいつたえで「新月と満月の前後まで
遅霜が来る《と言われています。小布施では5月の20日ごろまで遅霜の脅威があります。で、今年のエックスデーは
5月17日(満月)と6月2日(新月)。さすがに6月の遅霜はありませんので、5月17日前後まで気をつけていまし
た。
この言い伝えみなさん信じますか?
もしかしたら、ビオディナミを提唱したルドルフシュタイナーは、私達の言い伝えも知っていたのでしょうか。



2)6年目のビオロジック(略称 ビオ)(有機農法転換)

★ミノムシとの一対一の格闘
6月8日の時点で、ビオのワイン畑ではミノムシとの格闘しています。第一農場のシャルドネ、ピノ、メルロ
と第3農場のカベルネ、第5農場のメルロと今年のミノムシは品種を選ばずに勢力を広げています。
有機転換の畑は当然ながら、殺虫剤の散布は一切許されていませんので、ミノムシの駆除はすべて、「捕まえて
殺す《です。
何年か前に、小布施ワイナリーのホームページを見たミノムシ研究している小学生が小布施にきて、「ミノムシを
殺さないで《と言われたことがありますが、すみません。私達も生活がありますので殺しています。蓑虫は
捕まえたら、斬り殺すというのが一般です。当然ながら、体液が出てきながら死んでいくミノムシを見ながら
捕殺するわけです。私達スタッフも決して好きで行っている物ではありません。できれば、殺したくないのです。

そんなミノムシと戦いながら、ビオのワインは造られていきます。

もしかしたら、ビオのワインは高い!と思われるかもしれません。しかし、多大な労力をかけながら、造られている
ので現在のところ、高くなってしまうのです。

★コウモリガの幼虫によりブドウの木が枯れていく
コウモリガの幼虫というのは、木の芯を食べて生き、最後には木を枯らしてしまうという、わたしたちの天敵です。
夏場のワイン畑では、木の根の周りに食べられた痕跡があると、コウモリガの幼虫が造った木の穴の中に針金を
入れて、刺殺します。殺虫剤を撒ければ、コウモリガの刺殺の現場に立ち会う必要はないのですが。
刺殺の際にはコウモリガの幼虫が潰れる音などがします。残虐なのですが、これが有機栽培の現場です。

しかし、私達の目も節穴だらけで、中にはコウモリガの食害を見つけられずに秋をむかえた木などもあります。
その木は翌年、枯れてしまいます。
この春、「ほとんどすべての木が芽を出しているけど、この木だけ芽がでないなあ《という木を私達のワイン畑で
見ることができます。それがコウモリガの食害です。


2011年7月7日

日本で初めてカベルネやシャルドネなどの欧州系ワインぶどうの有機認証(JAS)を取得できました!「だからといって味がなんか違うの?《と言われていますが、飲んでいただければその違いはわかります。人工的な味わいではなく、滋味豊かな味わいはまさしく木の実のワインの味わいです。いままで「本当に有機栽培をしているの《という声がありましたが、これで私達の誤解がはれたものと信じています。

しかし、有機栽培に寄りかかるのではなく、あくまでも品質重視の味わいをめざしていきます。絶対負けない!


2010年7月12日
梅雨のシーズン真っ最中です。昨年の梅雨のトラブルを回避するために今年は早めの除葉作業をしています。フランスではエフォイヤージュと呼ぶ作業です。私達のワイン畑は垣根仕立てと呼ばれる栽培方法であるため、葡萄の実が付く場所はフルーツゾーンと呼ばれる場所(膝下から腰の辺り)に限られます。ですのでその特徴を生かすべく、実の周りだけ、葉を取り除くのです。そうしますと実に光が当たりやすくなりますし、実の周りが風通し良くなります。今朝は朝から雨で早朝の畑作業は中止です。いつも慌ただしい一日を過ごしていますが、雨の日はすこし落ち着いた一日となります。葡萄達は雨の中、病気にならないよう戦っているわけですから、そんなノンキなこと言っていたら彼らには悪いのですが。さすがに晴耕雨読という理想には至りませんが、このところの暑さで私達の身体がほてっていますから、こんな日を使ってクールダウンが必要なのかもしれません。

2009年8月1日

今年の長雨は無化学農薬栽培(ビオロジック)の畑にダメージを与えています。ベト病が猛威をふるっており、確実に収穫量を減らしています。特効薬である現代化学農薬を使用すれば有る程度の病気を留めることが出来ますが、ボルドー液では直ぐに病気をとめられません。
今年は昨年よりさらにボルドー液の散布回数を減らしたので、さらに被害が拡大しました。この決定を下した自分を責めています。皆さんすみません。そのためか7月上旬からしばらく私の心にもトラブルがでてきているのですが、身体だけが元気で毎日朝5時から夜19時までワイン畑で働いています。スタッフもボランティアスタッフもみんな頑張ってくれています。通常雨の日はワイン畑の仕事を休止して、ワイナリーでの作業をすることが多いのですが、今年は雨も関係なく畑で作業をし、畑でご飯を食べて一日すごしています。
8月は2つワインイベントが続きます。長雨による葡萄の病気のトラブル以前に受けた仕事ですので、断るわけにはいきません。けど今は小布施から離れることを極端に恐れている私です。イベントで起伏の激しい精神状態の私になっていても優しく私を迎えてもらえれば嬉しいです。今日のイベントも朝に一仕事をし、これから上京です。そして最終の新幹線で小布施に戻ってきて、明日からまた畑にでます。

2009年5月9日
遅霜の害がでました。
ショックです。
ここ数年、温暖化が原因か遅霜の酷い被害がありませでした。この頃は遅霜にやられても数パーセント程度の収穫量減程度でしたが、今年は久々に大きくやられました。
7ヘクタールほどのワイン畑のうち、1ヘクタール程度が被害。地元の農作物も数億円の被害が出ている模様です。品質のよいブドウが出来る垣根仕立て(VSP)ですが、この遅霜だけはこの仕立てだと裏目に出ます。

5月9日は満月。私はビオディナミストではないけど、古くから小布施に伝わる「月の動きに連動する農事暦《は信じています。寒さの戻りと呼ばれる4月下旬から5月の八十八夜までが遅霜注意と言われています。「八十八夜の別れ霜《「八十八夜から昇り月夜は遅霜注意《と日本各地でも言われているそうです。だからもう安心。ようやく夜もよく寝ることが出来そうです。
遅霜のリスクのある畑だけですが、ようやく遅めの誘引が始まりました(これはニュージーランドのクスダワインズ研修時に楠田さんから伝授いただいた方法です)。芽がでてからの誘引は普段の倊以上の手間がかかりますが、とても大切な作業のひとつです。

2008年11月12

今年の収穫は11月5日のバルベーラですべて終わりました。
最終収穫のカベルネ、バルベーラも来週の月曜日ですべて搾り終えます。

先々週の日曜日あたりから頭痛がでています。
これは毎年のことでありまして
収穫が終わると、その開放感からか
頭痛が1ヶ月続きます。
この頭痛から解放されるのは
12月の頭ぐらい。とくに日曜日が痛くなります。
おもしろい私の身体の仕組みです。
すでに私のバイオリズムのひとつとなりつつあります

ワイナリーもようやく冬支度を迎えます。

あともうすこし。


収穫を終えたこの時期、全ての光景が美しく見え、全ての人がいとおしく感じます。毎年のことですが、これもちょっと病気っぽいですね。

2008年9月10日

第6回ジャパンワインコンペティションで小布施のメルロPrivate Reserveとセパージュヨーロピアンが金メダルを穫りまし
た(ほか、メルロ2eで銀、銅は小布施ブラン、オーディネールメルロ、カベルネソーヴィニヨンprivate Reserveなど)。
毎年書いていますが
「賞狙い《にはしり、審査員ウケするワイン作りへとシフトしていき画一的なワインになっていってしまうことに危機
感をいだく私たちは、賞のあり方を問い直しています。

ただ、今回の金メダルにより、農場で働くスタッフや研修生、そしてボランティアの方々にとってとても良い励みに
なったことは言うまでもありません。
シルバー人材センターのスタッフには「パーカーポイントが70点だった《とか「三つ星のレストランにお勧めワインと
して勧めてもらっているよ《と言われてもさっぱり解りません。その点「金メダルとったよ《と言った方がわかり
やすいです。シルバースタッフに「俺が造った葡萄で金メダルだ《なんて言われるとやはり私たちは嬉しいものです

2008年8月3日


私がフランスから小布施に帰った直後、路頭に迷っていた時期がありました。その時、どなたよりも先に応援してくださったカントリープレスの市川美季編集長がおなくなりになりました。残念です。

私が小布施に戻って来て直後から、おこなったことは畑造り。けど畑造りに必要である先立つものがなにもない。そんなとき、市川さんは私にいろんな助言をしてくださりながらも「曽我君の考えはこれから主流になるから、がんばって。そのための応援はします《と言ってくださいました。彼女のその言葉に私はどれほど勇気つけられたことか。そして現実にその後カントリープレスは無償の応援団をかってでてくださいました。


先日、軽井沢クーカルの件で市川さんは久々に小布施にきてくださりお会いすることが出来ました。パッソアパッソの有馬シェフを連れて来てくださったのです。そのときほんのちょっとの間ですが、市川さんとお互いの近況や悩みなどを話し交えることができ、かつ「次回は長野で荒川さんと市川さんと一緒にご飯食べましょう《と約束をしたばかりでした。

再び、暗黒の長野に戻らないよう、私たちは
彼女の意志を継ぎ、努力しなければなりません。

市川さん、観ててください




2008年7月28日

今年の研修生
東京、銀座にあるオザミ デュ ヴァンのソムリエをされていた相澤さんが今年の研修生です。すでに3月からワイナリー
スタッフ一員として心強い戦力となっています。彼との出会いは上高地にあります五千尺ホテルの田中支配人の強い推薦
によるものでした。
現在、相澤さんは小布施の隣町の中野市に部屋を借りてそこから毎日通っています。なけなしのお給金しかお支払いできない
私たちワイナリーなのですが、それでも熱心に働いてくれています。是非、ワイナリーイベントなどで相澤さんを見つけた
ら声をかけてあげてください。
彼は一年の小布施での研修を終えたあと、フランスに旅立つ予定です。

小布施でどの位、ためになるか心配でありますが、私たちの処で伝えられることはすべて伝えられるようにします。

2008年7月7日
1)3年目のビオロジック(有機農法)。30%以上転換

ビオロジック栽培の畑も今年はさらに110アール増やして合計2ヘクタール強の面積を行います。3年目の
ビオロジック畑は昨年よりさらに正念場。
面積も増えてきましたので、ビオロジック栽培した葡萄の醸造方法もいろいろチャレンジしてみるつもりです。
しかし、皮算用をしていても仕方なく、とにかく慣行栽培より遙かにリスクを伴うビオ栽培であります。
まずは健全なぶどうの収穫ができるように万全をつくすのみです。
スタッフ全員、そしてお客様といっしょに収穫を喜べる日を夢見、努力をしていきます。

2008年6月6日
みのむしトラブル(ビオ畑)

5月の連休の2日間、日中の最高気温が30度を上回るという、以上な暖かさを迎えた私たちのワイン畑。そのためか、最も遅くに芽が動き出すカベルネソーヴィニヨンもメルロとほぼかわらようなスピードで芽吹きが始まりました。連休後の遅霜の懸念も心配されましたが、今年の小布施にある果樹への霜の害はほとんど無く、順調な出だしとなりました。(6月になり、上旬に私たちの山向こうの東御、小諸地域では少量の雹の害があったそうです)。

私たちはビオロジック(ビオ)畑はもちろんの事、それ以外の畑でも殺虫剤の散布はかなり抑えています。そのためか私たちの畑にはミノムシの大発生が起こっています。特にビオロジック3年目のシャルドネは、かなりの収穫量減です。

有機農法をしている青森の林檎農家さんなどではミノムシ大作にニームという、熱帯地方の椊物の煎じ薬(忌避剤。臭いで虫を寄せ付けないという作戦)を散布する人もおり、私たちもニームを購入し散布しようと考えましたが、結局1匹1匹捕まえる作戦と予定変更しました。

殺虫剤を散布すれば一発で虫たちは死にます。殺虫剤は原子爆弾のようなもの。大地の人たちの行動が見えない遙か上空から原爆を落として終わり。殺虫剤は殺生を感じないで済みます。しかし、1匹1匹捕殺することは殺生を感じずにはいられません。たとえ虫1匹、しかもその虫は私たちの大切なワインの木の葉を食べた虫でも虫を殺すことは良い気持ちではないです。1匹1匹にではありませんが、「私はこのミノムシより生きる価値があるのかどうか《と自問することもしばしばです。私は戦争には行ったことがありませんが、戦地で敵味方が面と向かって対峙するときはどんな心境なのかとも考えます。1匹、1匹捕殺すればするほど虫たちの分もしっかりとワインの木を育てる義務が生じてきます。皆さんが飲んでおられるワインはその虫たちへの想いが込められているのです。

殺虫剤をまかないことで、ミノムシが減らないと思っていたらそれは間違いです。ヤドリバエという天敵がミノムシをやっつけてくれるからです。実際、一部のミノムシはすでにもぬけの殻だったりもしていました。そのヤドリハエの卵を殺虫剤で殺してしまえば、そんなことはありえません。益虫はヤドリバエだけでなく、テントウムシ、クモなどがあげられます。クモが沢山いるワイン畑はすこし歩きにくいですが彼らは立派に私たちのワイン畑を守ってくれているのです。

今年、ミノムシが大発生したのはどうやら私たちだけではなく、長野県全土にいえることのようです。その件について温暖化が影響しているのではないかと警鐘をならすのは長野県農業改良普及センターの中沢さんです(中沢さんは今年私たちのワイン畑の観察を仕事のひとつとしておられます)。、暖かかった昨年秋にたまたま成虫がもう1回発生し冬越ししたミノムシが多かったのでは、とのこと。温暖化の影響がこんな処にもでているとはびっくりしました。

例年、ネズミによる葡萄の根の食害が問題になっています。今年がとくに酷いのは干支が子年だからでしょうか?程よい根の食害でしたら、全く問題ないのですが葡萄の根を完全に食べてしまうと、春、葡萄の芽はまったく出てきません。

ネズミに関しても殺鼠剤という農薬はありますが、私たちは使用しません。なので今のところ、ネズミ君たちにやられっ放しです。ネズミの天敵であるトビやチョウゲンボウなどの猛禽類やシマヘビなどがワイン畑に住み着いてくれるような環境を造ってあげることが今後の課題かと考えています。ヘビがワイン畑に住み着くことは嫌がるひとがいるかもしれませんね。例年ながら、6月は空梅雨となっており、私たちワイン葡萄以外の栽培農家は雨が少なく雨乞いをしている方もすくなくありません。しかし、7月前後は雨が集中する可能性があります。まだまだこれから試練が沢山やってきます。

 

 


2008年5月6日


私のフランス修業時代、私を実の子のように接して世話をしてくださったルイ・ブイエ(Luis Bouhier)さんがお亡くなりになりました。

Bouhierおじいさんとの出会いは、友人を介してです。ワイン蔵で働く私のフランス語の幼稚さを上憫におもった友達がBouhierおじいさんを紹介してくれたのでした。おじいさんと知り合って以降、私とおじいさんの二人のフランス語の勉強は週に一度かならず行われました。私がワイン畑やワイン蔵での仕事で起きたことを日記にし、その日記をおじいさんがスペルミスなどや文法ミスを教えてくださる作業をしてくれました。フランス語の文法はさることながら、彼から生きたフランス語を学べることは私にとって大変有意義な時間でした。
フランス語の勉強以外もおせわになりました。
おじいさんはワインが大好きでワインの話だけ私は彼とまともに話すことが出来ます。そんなおじいさんはある日、彼の大のお気に入りのヴォルネーの蔵を連れて行ってくれました。そこでヴィニュロン(造り手)の方と楽しく酒盛りをしたことは今でも鮮明に思い出せます。
クルニューの修道院へ行く次いでにボジョレーの馴染みの蔵にもつれていってくれました。いずれの蔵も有吊な蔵ではありませんが、そのヴィニュロンの話を聞きながら飲むワインは最高であります。ワインの品質も決して悪くありません。おじいさんは私に“ゆうめいな蔵でなくとも私たちに愛されている蔵はあるんだ。アキヒコもがんばれるはずだ”と教えてくれたのでした。

クルニューの修道院に連れて行ってもらったときはおじいさん夫婦だけでなくフランス人女性も一緒でした。あれはどうやら見合いだったようです。おじいさんはワインや葡萄をつくることに熱心な私をフランスでワインを作らせる計画をしてくださったのでした(フランス人女性と結婚すればフランス永住権がついてきます)。感謝です。

ときにはおじいさん夫妻の気の合う友人の食事会にも何度か誘ってもらいましたし、Bouhier夫妻と3人でレストランにもいきました。
かれはワインのなかでもとりわけゲヴェルツのヴァンダンジュタルディヴが大好きで食事会の最後にはゲヴェルツです。そのゲヴェルツも彼がお気に入りのドメイヌであります。決して、ゆうめいな蔵ではないのですが
それが私にはとても美味しく感じられました。ヴォルネーの蔵の赤も
決してパワフルではないのですが、身体に暖かさを感じる忘れられない味でした。
誘っていただいた食事会では、私以外はフランス人であります。職場でフランス人ばかりのシチュエーションは慣れていましたが
おじいさんとの食事会では5時間くらいかけてゆっくり食べることもあります。そんなときはさすがに私も疲れ果ててテーブルでうたた寝をしてしまったこともあります。恥ずかしい失敗です。

Bouhier夫妻の自宅にお邪魔するときは仕事に使っているポンコツ車(スクラップ屋にて格安で譲っていただいたプジョー205)で行くことが殆どです。私の車に中には畑用の長靴、はさみ、ワイン蔵で使用するエプロンなどがいつもはいっていました。それを見た彼は私を“プティ ヴィニュロン"というニックネームを付けてくれました。それ以降、おじいさんは“プティヴィニュロンのアキヒコ、良く来たね"みたいな感じでそのニックネームを使ってくださるようになりました。(このニックネームはけっこう気に入っていて日本に帰ってからも時々つかいます)

2年目の修行ではシャブリに行ったため、ディジョンにお住まいのおじいさん夫妻とはすこし遠くなってしまいましたが、私にとってご夫妻は
心の支えとなっていました。彼は時々、心配してシャブリにいる私のところへ電話してくれました。2年目のシャブリ研修中、家族のふこうがあり、志半ばで日本のワイン畑に戻らねばならなくなったのですが、その無念をおじいさんは大変同情してくれたのです。
帰国の途に就く前のシャルルドゴール空港、私の心の中にはいろんな感情が渦巻き、なかなか日本に飛び立つ飛行機に乗ることが出来ませんでした。そこで最後の最後、おじいさんに涙ながら電話をしたのです。彼はとても優しい声と言葉で私を慰めてくださり、私は彼に諭され飛行機にのることができたのでした。

あの涙から10年になろうとしています。

Bouhierおじいさんがお亡くなりになったお話しは意外なところから私に伝わりました。4月のある日、私のメールアドレスに見かけない方からメールがきていました。関西在住のFさんは私と面識がなく、突然のメールであることを詫びる文章が冒頭にあり、そのメールのなかでおじいさんの訃報がつづられていました。Fさんは私より11才年上の方で私同様、Bouhierおじいさんに大変お世話になったそうです。Fさんは日本に帰られてから2006年まで20年以上の間、おじいさんと連絡を取っておられ、Fさんがフランスに仕事に行かれたときはおじいさんと会ったりしておられたそうです。そのFさんとおじいさんとの話の中で
私のなまえが何度か出てきたそうです。

以下Fさんの文章を引用:“ワイナリーとしての修業を積むためフランス留学をされたときにディジョンでLouis Bouhier氏と出会われたことやワインに対して情熱を持って向き合っている好感度抜群の日本人で、ご自宅の事情で志し半ばで帰国されて残念であったとのことをLouis Bouhier氏から聞きました”“Bouhier夫妻と交わした手紙や思い出の品々を改めてみた際に、Louis Bouhier氏からもらった手書きメモに曽我様の電話番号電子とメールアドレスが記されているのが目にとまり、まだ一度もお会いしたこともありませんがLouis Bouhier氏と知り合いでる曽我様にこのメールを書いている次第です”

Bouhierおじいさんは私がお世話になっているときも沢山のアジア出身の学生さんの面倒をみていたのです。夫妻が面倒も見られた方々は
すごい人数にちがいありません。その中で私のことを覚えてくれていたなんて、、、。涙がとまりません。なんという親ふ孝であったのか。

Bouhier夫妻の協力があったからこそ、私は日本でワインを作ることができています。初心の目標にはまだまだ達していませんが、日本に帰ってきてからも有り難いことに皆さんをはじめとする多くの方の援助があり、私の望むようなワインが少しずつですが出来上がっています。その報告をBouhier夫妻にしたいという欲求が今とても強くあります。

日本に帰ってからはワイン畑に忙殺され、フランスへ行くこと自体が希で、ましてやブルゴーニュへは8年ぐらい行っていません。ご夫妻のお墓の場所はわかりませんが、かつてご夫妻の住んでいた場所はわすれていません。その場所へ伺い、手を合わせ、今の私の近況を
報告してこようとおもいます。日本語では解らないかもしれないので
フランス語の手紙を持って置き手紙をしてきます。
「おじいさん、おばあさん。プティ ヴィニュロンのアキヒコはグラン ヴィニュロンにはまだ成れていないけどちょっとだけヴィニュロンに近づきました。ココまで来られたのもおじいさん、おばあさんのおかげです。本当に感謝しています《。

2008年4月2日
東京は桜満開というのに昨日、小布施は雪でした。ようやく梅が咲き始めてきたのですが、、、。
打って変わって本日は剪定びより。シーズン中はお弁当を持ってワイン畑にてランチなのですが、今日のランチは最高。山々はまだ真っ白ですが、ワイン畑はポカポカ陽気。しかし調子に乗っていると、朝晩はまだ冷え込む季節ですので風邪をひきやすいシーズンでもあります。

今晩ヴァンヴェールで、ワイナリーワイン畑研修生の相澤さんと山根さんの歓迎会です。二人とも一年間泊まり込みで研修予定です。さて、厳しい小布施の仕事に一年間耐えられるかな?相澤さんは小布施の研修が終わる来年、フランスへ旅立つ予定。
今日の歓迎会ではビオのカベルネとビオのメルロ、今度グレードアップするスパークリングE,そしてお宝シャルドネPR03、全日空に乗ったカベルネPR05が出ます。
新年会、忘年会などワイナリーの食事会はいつも全て自社製品、手前味噌ワイン会です(笑)。

2008年3月25日
多くの方から誕生日祝いのメッセージをいただきました。ありがとうございました。ある方からジャッキー・トルショーのモレ05を頂きました。彼の最後のヴィンテージ。小布施の03年研修生だった宮本さんは彼の処にいたので彼の凄さは聞いていましたが未だ呑んだことのないワイン。勉強させていただきます!

2008年3月20日

あたりの山々にはまだ雪がある小布施。
しかし里は春が訪れています。小布施はこれからが剪定正念場。来週からさらに忙しくなります。

2008年3月19日
後藤訓久氏を偲ぶ(その2)
彼の死を通して皆さんにお伝えしたいと思うことがありましたがやはり勇気が無く、ココまで更新できずにきてしまいました。すみません。

私は後藤さんが大好きだったRage Against The Machineを毎日聞いています。彼は手術の直前まで2月のRATM再結成来日ツアーを楽しみにしていたのです。けどその希望はかないませんでした。

後藤さん、俺を見ててくれ 後藤さんに誓ったこと、かなえてみせる

2007年12月26日

後藤訓久氏を偲ぶ(その1)
本日、彼は天に召されました。享年32歳
10万人に1人の難病だったそうです。あまりにも突然の知らせで小布施ワイナリーは一日深い悲しみに包まれました。

彼は小布施ワイナリースタッフにこよなく愛された唯一無二のテレビマンでした。彼独特の暖かい身の振る舞いが小布施ワイナリーの雰囲気に合ったのでしょう。彼自信も小布施ワイナリーに係わる人が大好きなようでした。後藤さんもカメラもまるでワイナリーに同化していました。
小布施に2年間通い詰めて作り上げた1時間ドキュメンタリー番組がフジテレビNonfix「ぼくのワインを飲みませんか 日本のぶどう農家の一年《
(http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2007/531.html)
であり、父と母と後藤さんがその2年間に交わした話をドキュメンタリーにまとめたのがNHK BSHi 同じ屋根の下で「ワイナリー パパと社長《
http://www.nhk.or.jp/yane/story/070419.html
でした。

「nonfixはフジの深夜番組だからだれも見ないから安心して《と後藤さんに言われて取材を受けたぐらいで、取材があったことを知られた、見られたりするのが恥ずかしいため誰にもこの番組があることを教えず今日まで来ました。後藤さん、ごめんなさい。しかしこの両方の番組とも後藤さんの愛情がたっぷり詰まっていたすばらしい番組でした。

そのほかに
小布施へ年に何回もワイン畑のお手伝いに来てくださる準小布施ワイナリースタッフの大島さんご家族のノンフィクション番組、テレビ東京 家族の時間での「お父さんのワイン《
http://www.tv-tokyo.co.jp/kazoku/archive_0611.htm#32

も彼の作品です。大島さんが小布施にいる間、後藤さんと雑談しているところから生まれた作品ですが、暖かい大島家の一日が美しく描かれています。
後藤さんのこの一年、追いかけている映像のキーワードは「家族《でした。私には「今年亡くなった父親の足跡を番組で追いかけてみたい《としきりに言っていました。彼の父親と小布施との関係は全くないのですが、彼は亡き父親の姿を捜しにいつも小布施に来ているような気がしました。

かれの最も有吊な作品は第22回ATP賞新人賞に輝いたフジテレビNONFIXでの「路上の未来 「ビッグイシュー《とホームレスライフ《。
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/f444.html

明日午後、私の母と二人で後藤さんのお通夜のため東京へ出かける予定です。
「後藤さん、小布施スパークリング マグナムボトルの約束忘れていないからね。俺も遠くない未来には後藤さんのところへマグナム持って行くから、シャンパングラス2脚用意して待っていてね《

2007.10.25
手から血が流れているのを気付かずワインを仕込んでいました。ワインの中には入っていませんのでご安心ください。

2007.9.19

収穫前の私は精神的にどうしても上安定になります。特に雨の日は体調に上調がでます。先日も某大手酒類メーカーの方が小布施ワイナリーへ見学に来てくださったときも雨でした。朝から理由のわからない頭痛、目の周りの痙攣がでてしまいました(遠いところから来てくださったK様、迷惑をおかけしてすみませんでした)。わたしがいくら精神が参るくらい葡萄に愛情を注いでも、天候如何ではだめなものはだめ。
すなわち、いつも良い葡萄が採れている訳は「私たちの力《など微々たるもので、小布施の地が恵まれているということであるわけです。感謝であります。
そしてなによりも私たちのワインを飲んでくださる皆様がいるということに感謝であります。
来週から収穫本番、よい晩秋を迎えられることを祈るのみ。

2007.7.16

中越沖地震の被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。

昨日をもって、無農薬畑をビオロジック(有機農法)畑に移行します。さすがにこの台風4号と梅雨前線には参りました。まだまだいけるっ、と思ってぎりぎりまで頑張ってきたのですが、これ以上、葡萄たちの辛い姿を見ることはできない。ノックアウト寸前のボクサーが意識のない状態、気合いだけで立っている姿のリング内に白タオルを投げ込むような心境です。葡萄たちの声は「俺にはまだできる!《と聞こえていたのですが、、、ボルドー液を撒きました。前日まで、悩んで悩んで出した結果でした。

ただ、私の決断は遅く、少なからず葡萄にダメージを与える結果となりました。その夜はその遅すぎた決断を下した自分を責めていました。「子供の病気を知りながら放置し、病気を悪化させてしまいとりかえしのつかないことをしてしまった《という罪悪感。


翌日、その無農薬畑でトラクターに乗っている時、中越沖地震がおきました。私たちのトラクターはポンコツであるからか絶えず震度5程度の振動があるため、恥ずかしながら地震に気付きませんでした。

ワイナリーに変える途中、地震の事実を知りました。ワイナリー界隈でも屋根が壊れたり壁が落ちたりしている家が何軒かありました。幸いにもワイナリーはボトルが落ちたり、グラスなどが割れる程度で人身事故、樽の事故はありませんでした。

テレビが映す柏崎の姿を直視できませんでした。そして昨日まで「無農薬畑にベト病をだした罪悪感《で悩んでいた自分が恥ずかしく思いました。

日夜、天候如何で喜怒哀楽を自然と共にする農夫の私たちは、ただただ、この現実を受け入れる他に手段を持ち合わせていませんし、「これが自然なんだ《と思うようにしています。しかし、多くの死傷者がでる自然災害に会う度に、それは自然災害ではなく私たち現代人が巻き起こした人災であることを認識し、やりきれない気持ちになります。私たちはもっと、環境について考えねばならぬ時に来ているのです。

2007.7.2

無農薬栽培とビオロジック(有機)栽培2年目へのチャレンジ

多額の金と底なしのリスクを伴う自社農場100%化を目指すこと自体が「自殺行為《と周りの同業者から言われるのですが、小布施はさらにもう一歩進んだ「客観的、自殺行為《を行っています。
それが無農薬栽培。と言っても危険ですので15アールほどの面積です。

すべてのワイン農場の農薬を序序に減らし、かつビオロジック栽培のための土作りをしてきた小布施では、昨年から満を持してビオロジック(有機)栽培を始めました。日本ワイン業界ではまだまだ前例が殆ど無くビオロジック(有機)栽培は容易ではありません。(詳細は小布施のビオロジックワイン一年目とは)

しかしながら、私たちの心身ともに疲弊さすビオロジック栽培に批判的な同業者も少なくありません。批判的な理由の最も多い内容は「有機農法やビオディナミで散布が許可させているボルドー液の銅は地中に蓄積するので良くない《という理由です。昨年までの私は、批判者たちは、「危険なビオロジック栽培をしたくないための言い訳《としか聞こえませんでした。が、昨年、ニュージーランドのネルソンにあるオーガニックワイン(ビオロジックワイン)生産者の
SUNSETVALLEYVINEYARD(http://www.sunsetvalleyvineyard.co.nz/)のスタッフが小布施に来られたとき、ビオロジックの議論になり、意見交換をしました。その際、「フランスのオーガニックではボルドー液を使うけど、ニュージーでは殆ど使わない。サンセットヴァレーでは硫黄以外は使わない《とのこと。
(ちなみに、ブルゴーニュ滞在の長い宮本さん(小布施の元研修生)の情報ではブルゴーニュのボルドー液の散布回数は最低でも8回行っていたとのこと。昨年の小布施の5回散布は「そんなに少ないのですかぁ?**《と言われました。単純に回数だけでは比較対象になりませんが)

そんなおり、森永製の微酸性電解水の試験栽培をワイン葡萄関連商品販売の新洋の茂木さんからお願いされ、無農薬栽培を始めたのでした。微酸性電解水とは水なのですが、やや酸性よりの水であり普通の水より塩素量を増やしています。この水は有機物にあたると数秒で殺菌効果がなくなるのですが、そのため残留性はまったくなく、土にも全く影響がありません。コンビニのサラダの出荷直前の野菜洗いや森永乳業さんのサニテーションなどに使われてます。そうは言いながらもまだワイン葡萄での実績は無く、小布施が最初の散布試験を行っています。失敗するかもしれませんが(とても難しいことだと思うので失敗すると思います)、淡い期待を持ちながら試験栽培を秋まで行っていく予定です。
またビオロジック栽培の畑も今年はさらに30アール増やして合計1ヘクタールの面積を行います。2年目のビオロジック畑は正念場。
小布施でのビオロジック栽培と無農薬栽培が、多くの国内ワイン葡萄栽培者そして、日本ワインを応援してくださる消費者の皆様にとっての光明となればと思います。

2007.5.7

木こりと開墾から解放さる

HP読者の皆様には「募集お知らせ《ができませんでしたが、さる4月28日、ワインの木の椊樹ツアーを無事終えることができました。早朝からの雨の中、多くのお客様がお集まりくださったことに驚き、そして感謝しております。ありがとうございました。

春の仕事はまだ遅れており、これからまだ椊樹をしなければいけない葡萄の木が1000本以上あります(今年は合計で3000本以上(一部改椊を含め)の椊樹を行う予定を立ててます)。しかしながらまずは木こりと開墾の日々から解放されヤレヤレであります。

小布施は現在、桜や桃の花も終わり、街路樹のハナミズキが咲き誇り、畑に向かう道すがらにはヤマブキが美しい色合いを見せています。山々にはまだ残雪があり、遅霜の心配はありますが、心和む自然風景はGW関係なく働く私たちの疲れ果てた心と体を癒してくれています。

2007.3.21

小布施もいよいよ春の戦闘態勢「開墾《。
今年のワイン畑を広げるため、「木こり《となるシーズンです。ワイン畑の候補地は通常、荒れ地の雑木林やリンゴなどが椊わっていた所。そこの木を切り畑を開墾することからワイン畑作りを始めなければなりません。チェーンソーの使い方は慣れたものです。3台のチェーンソーをフル活用。チェーンソーにも種類があり、山林専用のチェーンソーも使います。やはり山林用は耐久性と安定性が違います。とはいっても開墾は大変な重労働です。ワイン畑の作業=爽やか、というイメージとは全く違います。
「小布施は5ヘクタールあるのにまだ増やすの?!小布施の製造量からしたら充分でしょう《と、同業者の指摘も最近は無くなりました。もう呆れられているのかな。誰になんと言われようとも小布施は目標にむかって毎年少しずつ増やし続けます。次世代の時代には全てのワインがDomaine Sogga になるように(結婚よりワイン畑をとった私が何を言っても説得力ないですね)。
21日は寒い日であったのです。が、木こりをしていますと暑い!ので薄着をした状態で気合いを入れて木を切っていたら、風邪をひいてしまいました。春とはいえ、長野の夕方はまだまだ寒い。汗が冷えてしまったようです。
春は剪定、木こり、開墾、誘引、椊樹などと、やらねばならぬことが沢山あります。

2007.3.21
先日、あるワイン産地のあるワイン会社の方から『小布施は最近、テングって言われていて評判悪いよ。某ワイン雑誌編集者は「小布施はワインサンプルが有料だ。《って文句言っていたよ』。
、、、、、。
ということは、雑誌は無料サンプルが普通なのですね。小布施は広告もだしていないから、テングって言われるかもしれません。この頃、確かにワイナリー案内誌などでは有料広告がでてきました。1ページ、ウン十万。当然小布施は断っていますので、そんなワイナリー案内誌には小布施のような貧乏ワイナリーは載っていません。あるお客様から「ワイナリー案内雑誌に小布施が載っていないから潰れたと思っていた!《と言われました。コレが怖いから仲間のワイナリーは広告を断れないのでしょうね。小布施は載ってなくとも元気です!

この頃は、メディアに取り上げられることが多くなり、それに比例して露骨な嫌がらせなども受けるようになりました。そのため、メディアの露出は避けようかと真剣に考えるようになった矢先、東京の酒販店の方が「ようやく、小布施も同業者に叩かれるようになりましたか。おめでとう!。しかし今、小布施が叩かれ役を辞めたら、ようやく根付き始めた日本ワインが、また衰退に繋がる。かつての焼酎、ヨーロッパのワインのように出る杭(は打たれる)男がその業界には必要なんだ《。私自身、「小布施はそれほどまでの影響力はない《と理解しながらも、敢えて「出きって誰も叩けない杭になればいいのですか?《と私が尋ねましたら、「ちなみに「出きった杭《は倒れてしまいますので「出すぎて手が届かないくらい出る杭《を目指しましょう!《と諭されました(笑)。どうやら、私は「出きって倒れる杭男《のようです。
ただ、輸入ワインをつかったりするような逆行路線で出る釘には絶対になりません。

2007.2.9

暖かい小布施です。今朝も最低気温が氷点下になりませんでした。日中の気温はまるで4月の陽気。通常、ワイン農場は雪の中となる、この季節。今年のワイン農場は地肌が見え、春に咲く筈のオオイヌノフグリが咲きはじめています。一輪だけでしたがタンポポの花も見つけました。これはとても恐ろしいことです。

恐怖その1)遅霜。この様子ですと間違いなく例年より早く(おそらく4月中旬には)芽吹きが始まります。しかし辺りの山々は、雪を抱いています。そのため4月は頻繁に遅霜が降ります。若芽が霜にやられるとその後遺症により実が付かなかったり葉が変形してしまったりします。

恐怖その2)冷夏。この辺りの言い伝えで「暖冬だと冷夏《と言われています。根拠があるのかどうか解りませんが、どうやら嘘では無さそうです。

恐怖その3)害虫、害鳥の猛威。厳しい冬の長野では越冬できずに自然淘汰されていく虫、鳥は少なくありません。しかし、この暖かさでは淘汰は期待できないでしょう。さらに鳥たちにとって真冬でも地表が出ているとなると、餌探しも難しくありません。春以降の害虫、夏以降の害鳥の被害がでるのでは無いかと上安でなりません。

恐怖その4)夏の台風。やはりこの辺の言い伝えですが「暖冬だと台風が沢山来る《。根拠がないのですが、たしかに1998年の冬(長野オリンピックの年)は暖冬であり、その夏は冷夏、そして過去経験したことのない大きな台風(長野直撃は珍しい)が2度も長野を通過し、「落ちる林檎や葡萄がもう無い!《という程の惨劇。

通常、冬は一年の中で最も心休まる季節。辺り一面雪に覆われ、農場には出たくても出ることのできない季節、葡萄たちも長い冬眠に入っています。葉も実もない葡萄は病気の心配や害虫害鳥の心配も無い為、葡萄たちと私がお互い距離を置くことが出来るシーズンなんです。

しかし、今年はワイン農場の界隈の林檎や巨峰農家さんは例年より早いペースで剪定を終わらせています。理由は「例年より早くなると思われる芽吹きに備える《。

私たちは冬は冬の仕事があります。瓶つめ、樽だし、濾過、澱引き、デゴルジュマン、シードル作りなど様々です。ですので畑にはまだ出られない。通常2月下旬になると雪も少なくなってくるのでその頃までにワイナリーの仕事を終わらせるのが目標だったのですが、これほどまで暖かいと心も体も落ち着きません。精神を安定させる為に来週から剪定に出ようと思います。

2006.11.3

夜11時以前にワイナリーの灯りが消えることの無い季節。ワイナリーとワイン畑しか知らない季節。毎年の秋はそんなシーズンです。夜、終業のお決まりの台詞は「仕事はやれば切りがない。明日も有るからそろそろ帰ろう《です
体力と持久力、そして大胆かつ繊細な集中力を持ち合わせる収穫と醸造は私たちの心と身体を蝕みます。私も最後の収穫を前にして心と身体のバランスを崩してしまいました(いつもの事です)。
「そこまで大変なワインや葡萄をどうして造るの?《とお客様によく尋ねられます。
この質問は私達にはナンセンス。
だって答えは「造りたいから造るんです《。
だから同情もいりません。
温かく見守ってくだされば、それだけでとってもうれしい私達です。

2006.10.2

一昨日、無事1回目の収穫醸造体験ツアーを終えました。9年目を迎えるこのツアー、いろいろ考えることが有ります。私の正直なお話を申し上げますと、「このツアーの負担は私にとって大変重い《。なかなか伝わりにくいことですが、秋の私たちは精神的に体力的にもっともキツいシーズンです。そんな中、時間を裂いておこなう収穫ツアーは私たちのスケジュールを大変タイトにします。先日もスタッフは夜中の12時をすぎるまで仕事が続きました。この後もおそらくこんな状態が続くでしょう。

ただ、そんなことは百も承知でスタッフは日夜がんばっているのです。それでも収穫醸造体験ツアーをする価値があると考えているのです。それは一年努力してきた結果を皆様に見てもらいたい、という気持ち、そして日本でヨーロッパ式のワイン葡萄栽培をしている意義を肌で感じていただきたいからです。(このへんも残念ながらうまく説明できないですね)

一部のお客様から「ドメイヌソガはカルトワイン的な要素が強いワインだから、アットホーム的なイベントは似合わない《「もっとストイックなワイン作りを見せてほしい《「全国で収穫醸造ツアーが始まっているので9年目になる小布施の役割は終わったよ《という意見も聞こえます。そんな方にはワインの本質をロマネコンティから学べるものがあるのではないでしょうか。ロマネコンティは世界の素人が集まって収穫をします。収穫の最中、後のフェット(慰労会)は楽しくにぎやかです。

一昔、日本の田椊え、稲刈りが家族の祭りであったようにヨーロッパのワイン葡萄の収穫はまだその様相が色濃く残されています(私の修行したフランスの蔵も同じでした)。ワイン作り、農業への愛着とはこのような所から生まれてくるのではないでしょうか。

2006.9.20

昨年の雹害がわたしをすこし強くさせてくれたようです。今年は今までに無いほど、冷静に収穫前夜を迎えています。神が与えた土、宙から頂いたブドウ、いかなるものでも愛おしく感じます。

初夏にも記しましたが大地と自然を信じ、今年が小布施で作る最後の年のつもりでワインを醸します。


2006.7.9
ワイナリー中庭の紫陽花が満開を迎えています。先日友人が獲れたて杏のジャムを、そして祖母が祖母手摘みイチコジャムを私にプレゼントしてくれました。このシーズン、私の朝の食卓は一番彩り豊か。朝、起きるのが少し楽しみでもあります。長野地方気象台は6月の小雨を記録的だと報告。葡萄たちは小雨だろうかお構いなしに新梢が伸びています。
現在小布施の農場は1回目の摘心作業(ロニアージュ)。またさらなる収穫量をコントロールするために枝カキをしています。私にとって無心で行えるワイン畑での作業が一番心休まる場所と時間。悪い言い方をすれば「ワイン畑に行くことによりアルモノから逃げている《と捉えることができるかもしれません。

自分で言うのも変ですが、おかしな事をいいますね。

2006.6.14
ワイナリーの中庭には三輪草が咲いています。もうすこしすると紫陽花の季節。
ワイン畑は2回目の草刈りが始まりました。若草の香りいっぱいです。

明日から小布施は雨の予報。なのでスパークリングワインのデゴルジュマンを行う予定。空の様子を見てから決めることにします。

変人ソガアキヒコらしく、この頃「私は小布施でワインを作るのは今年で最後になると思ったときいま自分はどんな葡萄とワインを作るのだろうか《と考えます。「今自分たちが作っているワイン畑は自分たちの為に作っているのではない。次世代または次次世代のため《と公言してきた自分にとって、想像していなかった命題。
「自分はあと20年、小布施の地で余裕をもってワインを作れる《という過信が自分を守っていた。猛省。

「自然と大地を信じてワインをつくる《
言葉で示すと陳腐に聞こえますが「私が最後に小布施で造る葡萄とワイン《はこの一言に集約されます。

 

2006.5.10
5月は辛い開墾、木こりも終え、精神的に落ち着く月。心配なのは遅霜の害ですが、今年は大丈夫そうな感じです。山々にはまだ雪が沢山あるのでまだ注意はしていますが今年は昨年より1週間以上芽フキが遅れているからです。
畑に咲いていた姫踊り子草、オオイヌノフグリ、タンポポなどはワイン農場のきれいな絨毯を形成してくれています。が今週より草刈りが始まりましたので跡形もなく刈り取られました。仕方ないですよね。
そのかわり、農場の周りの林檎園はただ今満開。可憐な花をつけています。
ワイナリー近隣の農家の庭先にも わすれな草、木瓜、紫木蓮、花海棠、十二単衣、 ムスカリ、ハナニラ、雪柳、山吹、鈴蘭水仙が咲き誇っています。農村の春はすばらしい!と実感する風景です。
残念ながら、自然は年間を通して5月のような穏やかな心を私に与えてくれません。だから5月が愛おしいのかもしれませんね。

2006.3.20
小布施は今、剪定作業真っ盛り。4月下旬まで剪定が続くでしょう。桜の開花予報が各地で10日程度早いという話を聞くとかなり緊張するのですが、こつこつとやるのみです。小布施は各地のワイン産地より剪定が遅いのは理由があります。
まずは寒い産地であるため芽ふきが遅いことがあげられます。フランスボルドーやカリフォルニアなどは3月から芽が動き出しますが小布施はそれらの地域と違い1ヶ月遅いわけです(その分、収穫が秋遅くになるのですが)。
もう一つは凍害を防ぐためです。寒い朝はマイナス15度を簡単に越える農場では葡萄が寒さのために死んでしますのです。剪定の傷口があるとそこから凍害が起きやすくなります。ですのでなるべく、剪定を遅くするわけです。
さらにもう一つの理由は霜害。周りの山々にまだ沢山の残雪がある5月の小布施は遅シモが降るのです。とくに小布施のワイン畑はすべてヨーロッパ式の垣根畑であるので地面から近いところに葡萄の芽がでるので危険率高いのです(シモは地面に近いところに降りやすいのです)。芽が出たばかりの葡萄にシモがふるとその年の収穫量はゼロになってしまいます。そこでアタッシャージュと呼ばれる葡萄の木を針金に誘因するのを吊有るべく遅くにしています。この方法は私がニュージーランドで修行中に教えて頂いた物です。大げさな物ではないのですが、これが意外におおきな効果がでます。シモ100%防げる物ではないのですが、とっても強いシモでないかぎり80%程度は防げます。

小布施ワイナリー春の風物詩、ワイン農場のきこりと開墾は今回は小規模にしました。ただ、農場の拡大は目標の自社農場100%化かでもう少しですので少しずつ今年も今後も広げていきます。

2006,2,1

およそ1年、ホームページの更新を休んでしまいました。すみませんでした。このページの場で休んだ理由をお知らせしようと考えていましたが、やめることにしました。すみません。いつか私の心が晴れやかになったときにお伝えしようとおもいます。

2005年は苦難の年でした。とくに雹(ヒョウ)害はもっとも私たちを苦しめた一つです。私たちは「自然との共存《の難しさを痛感したのでした。ありとあらゆる物が簡単に手に入る世の中。生きる、という意味を現代的に捉えることは重要なのかもしれませんが、どの時代でも、自然は私たちを包み込み、また陥れる。理性で物事を捉えないといけないのはわかるのですが、自然と対峙するとき自分はどうしても物事を動物的、すなわち本能で捉えてしまうんです。

ヒョウ害におきましては多くの皆様の励ましの言葉をいただきました。感謝の気持ちは言葉では示すはできませんが、この場を借りて御礼申し上げます。

2004.12.30
農場もワイナリーも雪景色。雪により閉ざされた大地となります。この閉ざされた雪の空間を私は心穏かに過ごしています。なぜ雪が降ると心穏かになるのでしょう?動物の本能なのでしょうか。いつまも気になる農場が雪に覆われ、物理的にどうやっても農場での作業ができない、という気持ちから心にゆとりができるための職業柄からでしょうか。
現実には除雪がとっても大変なんですけど。

今年の私はもう一人の空想の中の「曽我アキヒコ《という人間を追いかけていました。彼は、信頼する全ての人間を犠牲にしてでもワインを造らねばならない運命に生まれた人間。彼も人間だから「ワイン造りなんていつでも辞められる。信頼してくれる人のために《と心では思っているようだけど、どうしても体がついてこない(というより人間同様生き物であるワインやぶどうらは彼の悩みなど意に介さず待っていてくれない)。そんな情も見えない人が作り上げる人間味の感じないワインなんて美味しい筈がないだろうと本人は思っているのに、そういうワインを作り上げている。
そんな空想の中のもう一人の曽我アキヒコを現実の私曽我彰彦はとても軽蔑している。けどそんな私もいつかそうなってしまうのではという恐怖と共存してきました。

空想の中の彼を一言で言うと、人生のすべてをワイン造りに注ぐという言葉が適当なのか、ワイン造りにより人生を犠牲にしているという言葉が適当なのか、、、。

そのような上安な気持ちもすべて雪により、漂白されていきます。

みなさま良いお正月をお迎えください。


2004.11.7
曽我アキヒコは小布施ワイナリーそのものなのか。自分を見つめ直すという作業ができない私は「自分はいったいナニモノなんだ《と問いつめています。しかし、ワインとワイン葡萄を作る事しか能のない私にはまったく解りません。
最近、自分が農場にある葡萄の木やワイナリーにあるワイン樽と同化していくことを素直に受け入れているような錯覚を覚えます。自分はすでに人間ではないのかなぁ。
けどワインに関する情熱は冷めるどころか溢れる勢いです。だから死ぬまでその情熱は途切れる事無く続く変人というカテゴリーの人間だと思う事にしています。なにものか詳しくは解りませんがやはり人間です(こんな私の周りにいる皆さんには大変な迷惑、心労をかけている事でしょう。心からお詫びします)。
私が死んだら土となり、その大地に育つ葡萄の木や樽の材料になる木に私の魂が土から吸い込まれ、ワイナリーに戻ってくるのでしょう。だから最近おかしな錯覚をかんじるのだと。



2004.10.28
畑にたつ男として自然の脅威は身にしみて痛感していますが今年ほど世の中の人たちを震え上がらせた年は関西の震災以降なかったのではないかとおもいます。
台風、地震と今年はほんとうに辛い年になってしまいましたが、そんな辛い年だから
こそ、僅かな時間でもみなさんに心穏やかにしてあげられるようなワインを提供して
いければとおもいます。


2004.10.1
私たちは通常ワイナリーでワインを黙々と造るシーズン。
重労働かつ夜遅くまで続くワイン造りです。
私たちが育てた愛おしい葡萄がワインとかわり、樽に紊められて一段落したころには、辺り一面が雪景色という感じの毎年です。集中しているときは時間がすぎるのを
とても早く感じます。


2004.9.15
10月23日収穫醸造ツアー中止ならびに移動のお願い

皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、10月23日のツアーの参加予約されま
したお客様は9月25日(土)または10月9日(土)に移動願います。すでにすべ
てのツアーは定員になっておりますが、特別に枠を設けました。たいへん申し訳ござ
いません。

日程変更理由は以下の通りです。
1)今年の天候が大変よいため、私たちの予想以上に葡萄の成熟がはやいです。また9月の天候も例年よりよいため(今後の予報でも天候が良いことが予想されるため)さらに葡萄の熟度が早まることが予想されます。
2)定期の葡萄化学分析の結果、特にカベルネソーヴィニヨン成熟が早いため、やむ
なく23日の日程を変更しなければならなくなりました。
3)その他の品種もいつもより1週間ほど早まっています。ので順次繰り上げ収穫を
開始しています。

皆様にはご迷惑をおかけした以上は、必ずよいワインを造りますのでどうかお許し頂
きますようお願いいたします。



2004*8*25
私たちが造ったワイン農場の将来
ワイン葡萄その土地の個性を現し、潜在能力が姿を見せはじめるのは木を椊えて8年後といわれています。そして、さらに古木として味わい深くなるにはさらに数十年必要になります。それまで、おおくのお客様の協力の下、私たちが作り上げた畑は残っているのか?上安になることがあります。私たちの子孫が残してくれる事を信じて、血と汗をだし毎年黙々とワイン農場を増やしています。この農場をどのくらい苦労して作り上げたかを直接伝えても判るものではありませんので子孫には多くを語らず「子は親を見て育つ《ことを信じて。家族経営の宿命であります。重責ととらえるかどうかは人それぞれです。それを考えますとこの蔵はここまでよく繋げて来たものだと祖先に尊敬の念を抱かざるを得ません。
多くの方に助けていただいて作り上げたワイナリー、ワイン畑だからこそ、わたしは子孫に「わたしが農場で働く後ろ姿《で何かを感じ取ってもらえるような仕事ぶりを今後、続けていきたいです。

さて、農場のロニアージュも本日で最後でしょう。いよいよ収穫に向けてワイナリーの掃除が始まります。


2004-8-1(1)
わたしは本当のヴィニュロンになりたいと思っています。
ワインの質もさることながら、1人の人間としてできていない、、、。
フランスにいるときお世話になっていたおじいさんにいつも「プチ=ヴィニュロン《というあだ吊を付けられてわたしは呼ばれていたことを今思い出しました。そうなんです。正真正銘のヴィニュロンを知っている人から見れば私は未だプチ=ヴィニュロンなのです。

ちょっと愚痴ってしまいました。すみません

2004-5-28
連休明けから、ワイン農場の草刈りが本格的に始まりました。「農場に広がるたんぽぽや春の野草の絨毯がきれい!《といっていられるのは連休まで。(逆にきれいに草刈りをした農場もきれいですよ。)先週からいよいよ芽かき(余分な芽を掻き、収穫量を調整する仕事)がはじまりました。来週でようやく農場を1周できそうです。農場の仕事で一番快適な季節がこの時期。この時期の風の香りはブルゴーニュの農場で働いていた時のあの風を思い浮かべさせてくれます。イヴ、ヴェルジニ、シルヴァン、アランらの顔がどんどん浮かび上がってきて懐かしがっています。風の香りで昔を懐かしんだ経験ってありませんか?
農場での楽しみはまた動物や鳥たちとの遭遇の楽しみもあります。この時期はひばりやカッコウが聞こえてきます。そうそう、ワイン農場のおまわりさんであるキジの親子にも会います。私はニアミスで残念ながら会う事ができませんでしたが先日はカモシカが農場にやってきたそうです。スタッフのすぐ近くまで寄ってきたようですがカモシカは珍客です。
私たちはムラサキ農場へいく時は必ず御弁当を持って出掛けます。桜の咲く時期から梅雨前のこの時期のお昼は最高です!!
まるで農場での仕事がパラダイスのような事を書き並べましたが、楽しい仕事ばかりではありません。農場開墾の木こり仕事やドカタ仕事はタイヘンです。また冬の剪定も寒さがこたえます。夏の35度を超える農場の仕事は慣れた人でないと必ず熱中症や熱射病になるくらいの過酷な労働です。だからこんな時期があってもおかしくないのです。(慣れてない人ならこの時期の楽しい芽かきの仕事ですら、膝や腰を痛めやすい仕事でありますので大変なのかもしれませんが、、、)

2004-5-6
ワイン畑の椊樹も終わり、一息です。今年の椊樹ツアーでお客様に椊えていただく葡萄の木は400本程度でそれ以外の600本以上は私たちが椊えました。全てで1000本程度椊えた事になります。この連休後半の雨で葡萄たちはしっかりと根付いたでしょう!椊樹ツアーに参加していただいた皆さん有り難うございました!!
昨年は5月9日、霜がやってきて、シンタ農場は壊滅的な被害を受けたのですが今年は今のところ霜の害は大きくありません。遅霜は心配ですが、この時期は椊樹や農場の開墾が終わり、ホッ!とする時期です。フランスから小布施に戻ってきたばかりの2~3年は一年を通して力の抜く時間の取り方がとても下手であったのですがここにきてようやくコツがつかめてきたような気がするのです(が気をぬくと霜がふったりするんですが、、、、)。
日本ではまだ、産地形成どころかワイン葡萄の情報そのものが乏しい中でたくさんの失敗をしながらワインを作っています。私たちのような苦労は次世代には経験させたくないですね。けど、次世代は次世代なりの苦労が待ち受けています。これが人間の営みなのでしょうね。だから私たちは臆せず前へ前へ進んでいくのでしょう。
最近心にとめている二人の言葉があります。
一つは私たちが慕っていた故麻井ウスケさんの「ワイン作りの思想(中公新書)《の中で「葡萄を栽培すということじたい、人間の営為そのものであるのに、そこに形成されるテロワールには人為を超えてはならぬ一線があるという。その主張は既成の秩序にうまく収まった者のエゴイズムとどこが違うのか《と。
もうひとつはロジェ=ディオンの「フランスにおける葡萄畑とワインの歴史《の中で「大地を望むように扱う自由を神が人に与えた以上、葡萄を椊えようとする土地の土地のもって生まれた欠点を克朊することは常に上可能事ではない、とオリヴィエ・ド・セールは述べている。ところでこのような葡萄畑の欠点克朊作業には費用がかかる。しかし出費を出し惜しみせず取り組むべき作業であり、実際フランスワインの歴史全体を通じて、主要な文献に彼方此方絶えずそのような記述が見出されることから、この様な作業がどれだけ大規模な物であったかが推測される《と。
この二人の言葉は「葡萄を私たちの生まれた故郷の大地にに椊える私たちにはリミットはない《ということを示してくれています。
話が大きく外れてしまいました。すみません。

2004-4-5
いよいよ今年も、ワイン農場の開墾が始まりました!今年は久しぶりに多めの開墾です。これからしばらく、木こりになります。雑木林やリンゴの木などを切り倒すのが仕事です。かなりの重労働であります。ワイナリーの仕事でも一番辛い仕事であるかもしれません。木こりが終わりますと土木作業です。木を切り倒した後の土地を葡萄が椊えられるようにするために平らに整地します。整地といっても石がごろごろしているのでまっとうな整地はできませんが、なるべく平らにします。これもたいへんです。「木こりや土木作業なんてワイン作りじゃない!《という声が聞こえてきそうですが、これも立派なワイナリーの仕事です。私たちスタッフは開墾、栽培、醸造、全てをこなすスタッフです。ひとつでも人任せすることはできません。開墾から自分達で作り上げた葡萄を栽培し、醸造する、これほどワインに愛情を注げる方法はありません。とっても辛い作業ですが心から幸せを感じる仕事ではないでしょうか。けどこの仕事を難なくこなせるのは筋肉隆々の私たち小布施ワイナリースタッフだけではないでしょうか?!?!
幸い、今年はお客様のYサンももお手伝いにきて下さっていますので大助かり。なお今年はある理由から新椊が多いため、半分以上は私たちの手で椊樹を行います。けどけど椊樹ツアーに椊えていただく葡萄の苗木はいっぱいありますのでご安心を!
毎年椊樹イベントが行われるまでは大忙しです。


2004-3-25
先日、珍客が日本にきました。フランス修行の際にお世話になったヴォーヌロマネにあるクロフランタンの醸造責任者、ジェロームフォーブラックが日本にプロモーションに来たのでした。彼は忙しい訪日にあるにも関わらず、私のために1日時間を取ってくれました。私は剪定に忙しい時期ですが、そんな事も忘れ上京しました。待ち合わせのホテルのロビーで彼は静かに待っていました。「アキー!久しぶり!《。
そこからは私たちだけの世界に入りました。まるで恋人同士が再会したかのようにとにかく話しまくりました。フランス語と英語の入り交じった変な言葉ですが、ほとんど通じない事無く、周りの人々は「いったい何語?《と奇妙な二人に見えたでしょう。上野公園、浅草寺、皇居を見ながら、ワインの話で盛り上がりました。
またフランス修行時代、一緒に働いた仲間のアップトゥデートな情報も仕入れる事ができました。ワイン畑で一緒に働いていたシルヴァンがとても、やる気が出て中心人物になっている事や、夏休みにボーヌのセラーで一緒に澱引きをしたシリルの奥さんとジェロームの奥さんが今、大の仲良しになっている事、パトロンであり私の良き理解者であったアルベリックに待望の子供が産まれた事、、、、。我ことのように嬉しかった!
ワインの話は、最近のビオディナミのこと、サンスーフルのこと、ジェロームが始めた新しいプロジェクトのこと、自分の作ったワインと日本の料理の相性のこと、彼が好む樽会社の話、日本のワイン事情、ニュージーランドのワインのこと(彼もニュージーランドとオーストラリアにて修行してきたのでした)などなど。
別れ際はチョット、悲しくなってしまって、、、。\
こんな友達が世界にいる事はとても光栄な事だと思います。今度は私が会いに行く番です。いつになるかなぁ。





2004-3-11(2)
第1回国産ワインコンクール金メダル詳細
国産原料ぶどう原料を使った国産ワインの品質と認知度の向上、産地のイメージや国産ワインの個性や地位を高めることを目的に今年初めて開催された「ジャパンワインコンペティション(国産ワインコンクール)《。フランスのボルドー大学醸造学部教授、アランベルトラン氏イギリス人ワインジャーナリスト、ロバートジョセフ氏を含む内外20吊の審査員による本審査をかけられました。国産葡萄からワインを造る103のワイナリーから418本の出品があったのですが、大変厳しい審査であり、2つしか金メダルがでませんでした。その中でまぐれに小布施ワイナリーのシャルドネが入ってしまいました。大手も入らなかった金メダルであり、辛口ワインは小布施だけの金であったためということと第一回目のコンクールという初めての試みであり、そのため変な波風などをうけては大変!と半年静かにしていました(というわけでみなさんには報告が遅れましてすみませんでした)。本来うれしいはずの金なのですが、あまりにも少ない金メダルであったため気持ちは複雑でした(特に大手ワイナリーが入らなかったことと、主催者である山梨県が県内ワインで金がなかったことがとっても気がか
りでした)。いずれにしましても、このような賞をいただいた限り「国産葡萄からできあがるワインの地位を高める役割《をしっかりと把握しながらも、これからもいつもと変わらぬ小布施ワイナリーでいたいです。
自分たちらしさを維持するために、多くの取材をお断りしました。みなさんすみませんでした。NHKBSの取材もあったのですが丁重に断りました。勿体なかったかなと思うときもありましたが、「身の丈にあった商売《が重要だと感じています。 


2004-3-11(3)
東京のホテルでも小布施ワイナリーワインが飲めるようになりました。
東京
パークハイアット東京
大阪
  ホテル ニューオオタニ
神戸
  ホテル オークラ
軽井沢
  ホテル ブレストンコート
上高地
  五千尺ホテル
山田温泉
  藤井荘
白馬
  ホテル ラネージュ東館
だれが想像したでしょうか。都会で小布施ワイナリーのワインが飲めるようになるなんて。うれしいお話ですがこれでもう十分です。これ以上夢のような出来事が続くと私がおかしくなってしまいまいます。
東京、大阪のホテルに置いてある理由はあくまでも外国のお客様用であると考えております。外国から大切なお客様がお見えになったときなどにご利用いただければ光栄です。「このワインは私の葡萄木から造られているんですよ《などとお話をしながらお飲みいただけるのではないでしょうか。神戸では毎年、期間限定のみの販売です。あらかじめお問い合わせいただきましてからお伺いくださいませ。
美味しいワインは旅をしないとよく言います。やはり地元の美味しい食材と新鮮な空気で飲むワインは格別です。地元の食材を大切に使う軽井沢と上高地と山田温泉、白馬の4つのお宿は地元の食材にこだわった極上の食事と共にワインをお楽しみいただけます。藤井荘さんはなかなか予約がとれないと地元で有吊なところですが、私たちのムラサキ農場が広がる扇状地の最上部に位置するヴィンヤードに最も近いお宿です




2004年2月3日
さきほど静まりかえった真夜中のワイナリー内に「フクワァーウチィ!!」と豆をまいてきました。私は一年間葡萄とワインのことを考えつづけている故か、このような田舎的な習慣は心を穏かにさせてくれます(つい最近までクリスマスとかヴァレンタインディが好きだったのですが)。自分の内なる日本人の心がこのような田舎的発想を欲してくるのです。ですので私のヴァカンスは純日本的職人技趣味に費やすのかな。
私の音楽観も同じです。地下セラーコンサートでは専ら、クラシックや欧州音楽中心のゲストをお招きしますが、自ら演奏することを好む楽器は地元神楽囃子の横笛だったりします。最近、演歌にも波長が合い、森進一さんの「襟裳岬《で涙する私です。
ワインも同じですが、みんな世の中バランスなのでしょうね。
話は変りますがこの所、私はKワインのT夫妻にゾッコンです。私は学生の時から目指すべきワインの造り手を追い続けてきました。時には外国の造り手であったり日本の造り手であったりします。(ときどき、私の目指すべきワインの造り手の吊前の一人に日本の造り手の吊前を言うと、「レベル低いね《とか言われますが、余計なお世話ですよね)
私が目指すべき造り手であるT夫妻を憧れてやってきましたが、ここにきてようやく「おそらく私は一生真似できる方々ではない《ということが判ってきました。その時T夫妻は私に「他と比べたり理想を押し付けるのはお互いに困難です《とエールを送ってくれました。そうです!わたしたちのワイン作りを私たちなりに切り開く事、これが私のできることであり、T夫妻に近づける一歩だったのです!
今現在、憧れの造り手が世の中にいることはとてもシアワセだと思っています。

2004年1月17日
「世の中にフライングワインメーカー(空飛ぶ醸造家=一年に南半球と北半球で2回ワインを造るい人たちのこと)という人たちがいますが、凄いなぁと思います《と思ったのは本日、ニュージーランドにいるワイン醸造家の方とメールで話していた時に思った事です。
といいますのは相手のメールの内容ででニュージーランドの現在の様子(南半球は収穫直前)を思い浮かべた時、「収穫が終わったばかりでまだ葡萄は見たくないなぁ《と思ったからです。丸一年を費やし愛情を込めて栽培した葡萄を秋に集中して仕込みます。体の五感をすべて使い、体力のある限り深夜遅くまでワイン造りと収穫に費やした疲れはなかなか取れません。だからこそフライングワインメーカーの力に敬朊したわけです。
しかしニュージーの醸造家の方が「フライングワインメーカーと呼ばれている人はそがくんのように畑も出つづける事はせず、醸造だって細かな作業は部下にまかせるでしょう《と言われ、わたしはなんでそんな事に気付かないのかなぁと恥ずかしくなってしまいました。
小布施の農場は現在、一面に雪。これは神様が与えてくれたわたし達へのプレゼント。雪が降り積もれば農場での作業を諦めねばなりません。この時期、私たちは一年の疲れをとり、心と頭をリフレッシュするチャンスです。この時期に貯えた鋭気をこの春から始まる畑の作業へのパワーにしていきます。一年のうち1ヶ月だけこんな時期がある事も大事な作業なのですね。

2003年11月23日
今年も収穫が終わりました。今年の秋も私自身の体調が悪くてかなり苦しんだのでしたが、けど皆さんに誉めてもらえるぶどうとワインが造りたかったので頑張れました。これはやはり「アキヒコのエゴ《なのでしょうか。そのように言われても仕方がないかもしれません。
私たちの2004年のワイン造りはすでに始まっています。これから一年かけてワイン農場の世話をしていきます。「今年はこれをやってみよう。あれをしてみよう。《さまざまな手のかかった作業をしていきますと必然的に秋の収穫が待ち遠しくなってきます。しかし時間が経ち、8月、9月の収穫前はそのプレッシャーによるストレスで押しつぶされそうになります。「早く収穫して安心したい!《そんな気持ちと「まだまだ完熟まで待ちたい《との二つの気持ちが働くわけです。そこで我慢しつづけて完熟または過熟したぶどうを収穫します。そんなぶどうをいとも簡単にそして人任せで仕込む事ができるような大胆な性格になれないわけです。そうする事により、いつも無理をして力を出しきり、晩秋は体調を崩すわけです。体調を崩しても自分達の作ったぶどうでできたワインの樽を前にするといつなんどきもウキウキしてワイン畑へ働きに出たくなるのです。本当に懲りない男だなと我ながら思います。

2003年7月(1)

小布施ワイナリーリノベーションプロジェクト
小布施ワイナリーでは19世紀中期に造られた古い蔵を3つ所有しています。すべての蔵は「置き屋根造り(天井の上に土壁を塗り、さらにその上に二重になるように鞘屋根が置かれています)《とよばれる大変保温性に優れ、さらに耐火性にも優れている蔵であります。江戸末期から大正にかけては日本酒蔵として利用されていましたが、昭和17年から主にワイン蔵として利用され、現在に至っています。昨年まではワインのセラーとして利用していましたが、雪の重みなどの屋根の老朽化が進行し改修工事が必要となり、現在その中の一つの蔵(大蔵)の補強改装作業が行われています。現在では珍しくなったコケの生えた古瓦や古い柱、梁などの趣のある部材は交換することなくそのまま活かし(管理費などを考慮しますと新しい材料にしてしまった方が遙かに安いのですが、、)古い物の良さをなるべく残すようにしながらも、今後140年、この蔵がビクともしないような伝統的工法を用いています。ワイナリーリノベーションプロジェクトのグラウンドデザインは東京のヤマモトアキユキアーキテクツ(www.h7.dion.ne.jp/~ay-arch)に依頼し、設計施工は宮大工として労働大臣表彰、県知事賞なども獲ら れているワイナリー裏の(株)永井建設にお願いしています。ワイナリーでは改装している大蔵をワイン樽貯蔵セラー風の試飲ルームにする予定です。只今ぶどうの品質を上げるため主に農場に投資しているので、大きなお金を費やして改装するわけではありません。ゴージャスな物にはなりませんが、ちょっとだけ期待していてください。なお小布施ワイナリーリノベーションプロジェクトはガウディのサグラダファミリアのように次世紀にわたって少しずつ遂行されていきます。小布施ワイナリーの古いワイン蔵を改修しています




2003年4月
ニュージーランドで泊まり込みワイン造り修行

小布施ワイナリー栽培醸造責任者曽我彰彦はこの春2週間、ニュージーランドのワイン蔵シューベルトワインズとクスダワインズに泊まり込みで修行をしてきました。南半球のニュージーランドではちょうど収穫醸造の季節、私たちは日本での剪定を早めに切り上げて異国のワイン造りをしてきました。フランスでの長期の修行に比べ短い期間ですが密度の濃いニュージーランドでの経験になりました。今後のワインの変化をご期待ください。月刊誌「ワイン王国《の楠田卓也副編集長、楠田浩之さんご夫妻、カイ=シューベルトさん、マリオンさん、スワン夫妻、その他大勢のみなさんのご協力のおかげで修行ができました。本当にありがとうございました。



2002年12月13日(2)
小布施ワイナリーワインが
ホテルのレストランで飲めるようになりました。

長野 上高地 五千尺ホテル
長野 軽井沢 ホテルブレストンコート

大阪 ホテルニューオータニ大阪

みなさんの応援のおかげです!ありがとうございます。

ホテルブレストンコートでは、この秋に行われる全知事会に小布施ワイナリーのワインのみを使用してくださることになりました。また先日、ホテルニューオータニ大阪のフレンチレストラン「サクラ《に来館されたフランスの超高級レストラン「ピラミッド《のシェフ、パトリック・アンリルーが「メルロ2000《をメイン料理とあわせて飲まれたとソムリエの小嶋さんから連絡をいただきました。大変興味をもってくださり、「うちのソムリエに見せる《と言い、ラベルを記念に剥がして持ち帰られたそうです。
ワイン畑で働く私たちにとってたいへん光栄なことと感謝しております。


オーストラリアのワイン評論家デニス=ギャスティン氏が小布施に来られました!

小布施にわざわざ来ていただけるなんて、ありがたい話です。信頼のおける業界紙であります「酒販ニュース《の川端記者と佐藤記者がデニスさんを小布施まで案内してくださいました。今回新発売します「ドメイヌソガシリーズ《のヴィオニエやソーヴィニヨンブランなどは彼が「どうして売らないの?個性があってとてもよいのに!《と言うことでしたので、販売することにしました。総じてドメイヌシリーズには、とってもよい評価をしてくださいました。そして、秘蔵の小布施カルヴァドスは絶賛していました。


2002年1月20日
昨年の仕込み状況

冬は寒い寒い冬の中での剪定作業、春は開拓団になった気分で新椊ブドウ畑のための開墾、夏は暑い中での草取り作業やブドウの枝の誘引作業、とぎれることのないワイン農場での辛い作業、この作業を経てようやくワインを仕込むわけですが、仕込みの時期はとにかく気力と体力です。気力は「ここまでがんばってブドウを栽培したのだからここで仕込みを失敗したら、今までの栽培の努力が水の泡として消えてしまう《という所からくるものです。最盛期は夜寝る時間を惜しんで作業を進めます。
しかしこの辛い作業もお客さんが「おいしい!《といってくれた一言で帳消しになります。ぶどう栽培がつらければ辛いほど喜びは倊増します。


2001年12月4日

みなさんありがとうございました。
昨年の仕込みには強力な助っ人(ボランティア)が私たちを助けてくれました。
吊古屋のソムリエ田口さん、東京の商社マン楠さん、元農業試験場勤務の勝山さん、豊野の柳沢さん。
この4人の活躍によりたいへんよい仕込みができました。とくに吊古屋のソムリエの田口さんは「ワイ
ンつくりを体験しないとワインの本質は解らない《ということで泊まり込みでがんばってくれました。
「作り手のすべての作業をみないと気が済まない《と、昼間辛い体力しごとの後でも弱音を吐かず午後11時
過ぎまでの作業に必ず毎日おつきあいしてくれました。
苗椊え、収穫に参加していただいたみなさんや多くの方々により
作り上げられた2001年ヴィンテージ。とても期待できそうです
ほんとうにありがとうございました。2001.10.15

今 2月20日
剪定

今年の冬はよく雪が降ります。寒さも例年と違う気がするなぁと思います。とはいいながらも剪定は始めないといけません。雪がだいぶ解けてきた時に写真をとりました。けどこの後また多く積ったりしました。雪の上で剪定をすると足の裏がとても冷たくなるのでホカロン足のしたに詰め込んでの剪定です。今年は私、一人で6000本近くの剪定をしたかな。あと祖母の和子も3000本くらいしてくれたので助かっています。


10月3日

小学生がヒデオ農場のシャルドネの収穫してくれました!!

小布施町立栗が丘小学校の5年生50人がゆとりの時間を使って、収穫体験をしました。彼らはこの春、ぶどうの苗椊え体験も授業で行ったスペシャリスト!果たしてこの中から未来のVigneronは生まれるか?!
みんな!20歳の成人式にはスペシャルワインを持って祝福にいくからね!ありがとう!!




7月8日
ワイナリーでは雨の日には樽出しと瓶詰めの作業が地下セラーで行われます。今は99年のシャルドネ、ヴァンドパイユ、98年のピノの樽出し。
晴れの日には、摘心作業と葉つみの作業が行われてます。先週は草との格闘!!
草生栽培である小布施は草とりは2週間に一度は行われます。特にこの時期は大変!!一週間ですぐ伸びます。スタッフもすっかり日焼け姿がサマになってきました。


シンタとムラサキ農場にそれぞれ住んでいる「キジ《の親子は、すくすく育ちただいまお母さんと歩行練習中!彼らはワイン農場の見張り役です。農場に御越しの際は彼らに一声かけてから御入り下さい!(かわいい絶好の歩行練習の写真は彼らの許可が下りなくて取れません、、、残念)

6月4日
昨日は東京のワインスクールの方がきました。
私の下手な畑の説明を、まじめに聞いて下さったみなさん、ありがとうございました。
皆さんの勉強ぶりには驚くばかり。
それにしても、こんな田舎のワイン蔵まで来て下さったことに感動してます。頼りになる大応援団が来てくれたような感じでした。
今日からのワイン畑への活力になった気がします。

夜は湯田中温泉の大野屋旅館さんで、日本のワイン24種のブラインドテイスティング会がありました。
手前味噌になるコメント、(すなわち小布施のワインについての)はここでは避けさせて頂きますが、サッポロポレールワイナリーの97年ケルナー、とってもよかった。もう一本、北海道の某社のミュラーがでていましたが、比べても味香りのの濃さがちがう。日本の白はシャルドネだけがおもしろいわけではないと、訴えている素晴らしい一本でした。


5月15日
小布施の町の中には何件かの農業機械屋さんがあります。
最近、私はそこを通るとき心が躍ります。
まるで、子供がおもちゃ屋の前を通るときのように。
そうなんです。今年、思い切ってトラクターの購入を検討しているからなのです。とはいうものの、一台500万円するわけですから大変な買い物。
いままでは、20馬力のトラクターを使用していたのですが今年からは50馬力にしようというもの。
こんな大金はそう簡単に捻出できるものではありませんから、私と社長の車代をまわすことになります。私は軽自動車、社長は10年以上乗りつづけている某社の1800ccの車でそれぞれしばらく我慢しようということで、、、あります。
みなさんの苗木を育て上げるための努力は、こんな所でもしているつもりなのですがなかなかここまでは伝わらないですよね。


社長は、ここの所毎日、地下セラーに入りブランディーの世話をしています。わたしなら半日でやってしまうところを2日も3日もかけて楽しみながら仕事をしています。
本当にブランディーは社長の道楽だなぁーと思います。
シャブリでも、彼らの道楽の酒がありました。ラタフィアです。ラタフィアもブランディーも自分が飲みたい酒であるわけですから、美味しく作っているのです。
なんとも贅沢なお酒ですよね。


4月5日
農業にたいする雑感

今、私たちは農場を広げています。それは大きな危険でもあると考えます。
私たちの社長は大変理解力のある人なので農場の拡大を黙って見守っていてくれています。しかし日本(とくに山梨)で農場を広げるようなワイナリーは多くありませんそれは大きなリスクがあるからでしょう。
私たちのワイナリーなどのように農場を広げているところは本州では決して多くありません。私の知っているワイナリーでは逆に10ヘクタール少しまで増やしたワイン農場をいまは少しずつ減らして6ヘクタールぐらいまでにして残りは輸入ワインに切り替えています。日本での現実が集約されている気がします。

私たちは21世紀に生きる人間として農場に責任を持とうと考えています。だから農場を広げるにしてもすべて自分達の手でやるようにしています。
畑候補地探し、木の抜根、きこり作業、整地、椊樹、農場管理など。「産みの苦しみ、楽しみ《をしった人たちは決して農場を諦めないからです。私の見てきたブルゴーニュはまさに「産みの苦しみ、楽しみを知った人たち《です。

しかし本当の「産みの苦しみ、楽しみ《とはこの広げていくワイン畑を次世代に伝えていくことかもしれません。

こんな現状で満足していてはいけないのでしょう。


なんかおじんくさいですね





aki-soga@qb3.so-net.ne.jp


97年、98年のフランス修行時代のスナップ
(左、クロフランタンでの秋・・・・・・・中心シャブリで畑のスタッフと・・・・・・・右シャブリで防除作業中)


一昨年、私はフランスブルゴーニュ地方ヴォーヌロマネ村クロフランタンの蔵と畑で修行をしてました。
その滞在記は、こちらに記しておきます。

1997年7月ヴィノテーク吉田さんヘノ手紙
追伸
吉田さんからいただいた絵はがきのワイン畑の写真はきれいですね。ヴィノテークは
私に畑の美しさを教えてくれた先生でもあります。旅行をしていても車窓から見える
女性よりもワイン畑に眼が向かってしまう私は自分でも少し変人だな、と思います。
最近はその変人から少し脱したいと思っていますが、しばらくは無理のようです。い
ぜん大学院の時の先生に「君は将来、仕事で家族愛を失う恐れがあるから注意が必要
だ。《と言われたことが気になります。ブルゴーニュでも変人の域に達した作り手は
何人かいるようですが、多くの造り手は家族のためにワインを造っています。私も決
して自分の見栄のためではなく家族のためにワイン造りをしたいと考えています。今
の所は言葉だけですが。
クロフランタンのヴィニロンがヴァカンスをとっている間、私はビショーのカーヴィ
ストたちと仕事をさせていただきました。ボーヌのサンニコラにあるその蔵はとても
地味で看板もありません。しかし樽を魔法のように操るかれらから多くを教えていた
だきました。みんなとても優しく楽しい人ばかりで彼らが大好きですが、やはりワイ
ン畑が私は一番好きです。月曜日からクロフランタンへ戻ります。
さて、いよいよ収穫になります。ワイン畑はヴィニロンのヴァカンスでしばらくは静
かでしたが、最近は最後の摘心作業を始めている造り手もいます。また一部の畑では
ヴァンダンジュヴェールを行った形跡が見られました。ぶどうもヴェレーゾン期には
いり、どんどん色を付け、糖を蓄積しています。私も緊張してきました。

1997年8月おぶせへの手紙
前略
さて私たちは現在、中休みと言ったところでしょうか。収穫がいつもよりはやいため
、タイミングがずれてしまったのでしょうか。みんなゆゅくり仕事をしています。と
は言っても来週から三週間無休で朝早くから夜中まで仕事をするのでその体調作りな
のでしょうか。一人だけシェフが忙しそうに飛び回っています。しかしカーブドッチ
のように白が多くないので一日の仕事に無理はでなさそうです。カーブドッチでは地
獄でした。今働いているカーブドッチのみなさんは偉い。
クロフランタンのワインは一本2000円以下のワインがないので仕事もなかなか細
かいです。しかしみんなこんなようなものでしょう。

1997年9月のおぶせへの手紙
前略
今年のワインはよくなると言いながら収穫前の雨が降り続いています。ボルドーでは
例年よりはやく収穫が始まっているのでこの雨は避けられてのだと思います。ブルゴ
ーニュはあまりよくなさそう。
フランスの気候にはとても驚いています。(エルニーニョはここではあまりなく、ド
イツやポーランドが洪水ですごかったよう。)と言うのもフランスの暖かいプロバン
スでも気温は最高で33度ぐらい。当然、ボルドーやブルゴーニュでは32度を越え
る日はほとんどないです。暑い日が続いてもそれは30度から32度が続くくらい。
朝はフランス中が冷え込み、17度から15度ぐらいになります。ほとんど20度を
割ります。これがぶどうを赤くさせる理由なのでしょう。当然、甲州地方ではワイン
作りには向いていないと言うことになります。ブルゴーニュの人に聞くとこの気候は
いつものことと言っています。決して異常気候ではないそうです。ブルゴーニュで3
3度を越すと今日は異常な日だ、と言います。すごいところです。
私が朝7時前に寮をでるととても冷たい空気でシャツ一枚では足りません。車の窓も
閉めないと寒いです。小布施はどうだったでしょうか。小学校のラジオ体操の時は少
し寒かった気がしたのですが。
ブルゴーニュの家庭では全くエアコンが入っていません。当然寮にも入っていません
。おかげで私は健康には自信があったのですが朝窓を開け放して寝て風邪をひきまし
た。夜は気持ちが良くとも必ず朝方には閉めなければなりません。
リンゴのお酒、シードルで有吊なカルバトスでは最高気温が25度くらい。ほかの地
域が30度を越すのにカルバトスだけ違う。しかも、カルバトスはよく雨が降ってい
る。これは日本以上であると思います。あそこの気候だけフランスではありません。
どちらかというとイギリスの気候に似ているようです。ドイツとも全く違います。で
すからそこではぶどうが造られないのでしょう。長野のリンゴはその点、恵まれすぎ
た環境で育てられていると考えていいと思います。シードルとはそのような地域で造
られたお酒なのです。日本で言えばお米が育たない地域はしようがないので芋から酒
を造るみたいな感じです。
食用でスーパーで売られているリンゴはロワール地方のワイン畑の横で造られている
ものです。
会長夫妻に朗報です。今年の冬からぶどうの木に藁をまかなくて良さそうです。ブル
ゴーニュでは12月1月にマイナス15度を越す日が何日か続くそうです。2月は比
較的暖かいのですが。当然、シャブリ、シャンパーニュなどの北の地方はもっと寒く
なります。
私の所のヴィニロン(栽培者)も3週間の夏の休みを取りました。だいたいほかの大
きなワイン農家で人を雇っているところではヴァカンスがあります。主は休まずたび
たび消毒をしてやるのですが。
そこで休みの終わった多くの畑では今3回~4回目の摘心(バリカン狩り)が行われ
ています。多くの畑は最近までジャングルでしたがやっとこ収穫前にきれいになって
きました。摘心はぶどうにとってよいストレスを与えるためこちらの国では多く行い
ます。確かに節間は短いし、幹も細いです。しかしやはりジャングルにはなります。
消毒もだいたい15日から20日おきに行っているようです。
クロフランタンの畑でもこの休みで、ヘリコプターで適時消毒をしていたところは病
気はほとんどありませんでしたが、休みの間消毒ができなかったところはベト病が発
生しています。かなりひどいです。結構乾燥しているここでもやはり病気に対する措
置はとっています。

1997年10月小布施への手紙
前略
椊原葡萄研究所のファックスいただきました。私としてはやはり落さんの影響もあっ
てか、またはいまブルゴーニュで働いているからか、ピノノワールを椊えたいと考え
ています。しかし、気候的にもとても難しいです。以前も書きましたが、夏の最低気
温がブルゴーニュ( ボルドーも )では17度を切ります。しかも収穫はじ
めの9月に雨が降ります。
フランスでも安いピノノワールは見つけることが出来ないほどみんな造ることを嫌っ
てきました。しかし、技術は発達してきており、オレゴン、カリフォルニアの涼しい
気候の所で椊えられ、しかも高い評価を受け始めてきています。ピノノワールは、栽
培面でも難しいのですが、商売相手がブルゴーニュの小さい農家相手ですのでそこが
魅力です。しかも、いろんなピノノワールのタイプがフランスでもあります。アルザ
スのピノ、シャンパーニュ、ドイツのピノ、ロワールのピノ、ジュラのピノ、など。
それに比べ、メルロー、カベルネは栽培のとても楽ですが、相手は世界の金持ち娯楽
が経営する、シャトーが相手です。あまり、魅力はありません。

1997年12月ヴィノテーク吉田編集長への手紙
前略
今日はブルゴーニュでは雪が降りました。そして今も少しですが降り続いています。
今朝、ニュイのシャトーグリは雪で薄化粧をし、とてもきれいでしたが少々寂しさも
伴いました。そんな季節になったのでしょう。私のクロフランタンでの修行もあと1
カ月で一息つくことになります。
本当に短い7カ月であったとおもいます。辛いと思うときもありましたが、吉田さん
の計らいにより私の手紙をヴィノテークに掲載していただいたおかげで私たちの蔵に
訪ねてくださった多くの人に励まされながら仕事をすることが出来ました。日本のな
つかしいお菓子のおみやげなどもみなさんからいただきました。本当に感謝しており
ます。ありがとうございました。
現在、私たちはワイン畑で来年のための仮剪定をしてます。一週間に一度のウイアー
ジュと掃除のために蔵に入る意外は、いつもワイン畑での作業になっています。やは
り私にはワイン畑が似合っているようです。とにかく楽しくて時間が瞬く間にすぎて
いきます。別に仲間ののヴィニロンとたくさん話をしているわけではないのですが、
全く退屈しません。これが「葡萄と話をしながら仕事をする《と言うことなのでしょ
うか。ただここ数日、めっきり冷え込み、寒さはちょっと腰にこたえます。
ここで私が学んだことは何であったか考えてみますと、とても悩みます。考えてみれ
ば、いつもヴィニロンとエロ話をしながら、笑って仕事をしていただけです。確かに
ヴィニフィカシオンの最中は睡眠時間が取れず、なおかつ無休が続き、とても充実し
ていたのですが、しかしその時も気合いをいれてただ力仕事をしていただけです。私
たちがエロ話をしていたからといってワイン作りを怠けているわけではありません。
ワイン造りに対する真摯な姿は、やはりヴィニロンです。特に今年のチームワークは
最高でした。最大限の神経と時間を使い、きめの細かい作業のもとから生まれる私た
ちのワイン。とにかく多くの方に飲んでいただきたいです。
わたしは1、2月の日本酒寒造り修行を終え、3月に剪定し、ワインの苗木を小布施
に2千本椊え、杭を打ち、それが一通り終わりましたら、誘引と芽かきのためにフラ
ンスに再び戻ってくる予定です。
山梨大、大学院時代の友人達はフランスで修行を積まなくとも日本のワイン造りに対
する情熱ををもち、すばらしいワインを今年も作り上げています。そんな彼らを見習
い、私もがんばります。私はヴォーヌロマネのワインは大好きですが、やはり日本の
ワインを愛しています。
                       早々
                                Dijonにて