始めまして、曽我 彰彦です。
2011年10月18日 書こうか書かまいか悩んでいましたが、書きます。普段は酒の話しは一切書かないのですが、、、、。 2005年の春、平山さんが私達の蔵を去ることになったその時の言葉はいまでも忘れません。 平山さんに教えていただいたことは醸造のテクニカルなことから、人生論まで沢山あります。ひとつ披露します。平山さんからは{和醸良酒} 私は4月1日に最後のお別れをしてきました。その安らかな顔に再度私は涙しました。 2011年7月10日
日本で初めてカベルネやシャルドネなどの欧州系ワインぶどうの有機認証(JAS)を取得できました!「だからといって味がなんか違うの?《と言われていますが、飲んでいただければその違いはわかります。人工的な味わいではなく、滋味豊かな味わいはまさしく木の実のワインの味わいです。いままで「本当に有機栽培をしているの《という声がありましたが、これで私達の誤解がはれたものと信じています。 2009年8月1日 今年の長雨は無化学農薬栽培(ビオロジック)の畑にダメージを与えています。ベト病が猛威をふるっており、確実に収穫量を減らしています。特効薬である現代化学農薬を使用すれば有る程度の病気を留めることが出来ますが、ボルドー液では直ぐに病気をとめられません。 2009年5月9日 5月9日は満月。私はビオディナミストではないけど、古くから小布施に伝わる「月の動きに連動する農事暦《は信じています。寒さの戻りと呼ばれる4月下旬から5月の八十八夜までが遅霜注意と言われています。「八十八夜の別れ霜《「八十八夜から昇り月夜は遅霜注意《と日本各地でも言われているそうです。だからもう安心。ようやく夜もよく寝ることが出来そうです。 2008年11月12 今年の収穫は11月5日のバルベーラですべて終わりました。 先々週の日曜日あたりから頭痛がでています。 ワイナリーもようやく冬支度を迎えます。 あともうすこし。 2008年9月10日 第6回ジャパンワインコンペティションで小布施のメルロPrivate Reserveとセパージュヨーロピアンが金メダルを穫りまし 2008年8月3日
私が小布施に戻って来て直後から、おこなったことは畑造り。けど畑造りに必要である先立つものがなにもない。そんなとき、市川さんは私にいろんな助言をしてくださりながらも「曽我君の考えはこれから主流になるから、がんばって。そのための応援はします《と言ってくださいました。彼女のその言葉に私はどれほど勇気つけられたことか。そして現実にその後カントリープレスは無償の応援団をかってでてくださいました。
再び、暗黒の長野に戻らないよう、私たちは 市川さん、観ててください
5月の連休の2日間、日中の最高気温が30度を上回るという、以上な暖かさを迎えた私たちのワイン畑。そのためか、最も遅くに芽が動き出すカベルネソーヴィニヨンもメルロとほぼかわらようなスピードで芽吹きが始まりました。連休後の遅霜の懸念も心配されましたが、今年の小布施にある果樹への霜の害はほとんど無く、順調な出だしとなりました。(6月になり、上旬に私たちの山向こうの東御、小諸地域では少量の雹の害があったそうです)。 私たちはビオロジック(ビオ)畑はもちろんの事、それ以外の畑でも殺虫剤の散布はかなり抑えています。そのためか私たちの畑にはミノムシの大発生が起こっています。特にビオロジック3年目のシャルドネは、かなりの収穫量減です。 有機農法をしている青森の林檎農家さんなどではミノムシ大作にニームという、熱帯地方の椊物の煎じ薬(忌避剤。臭いで虫を寄せ付けないという作戦)を散布する人もおり、私たちもニームを購入し散布しようと考えましたが、結局1匹1匹捕まえる作戦と予定変更しました。 殺虫剤を散布すれば一発で虫たちは死にます。殺虫剤は原子爆弾のようなもの。大地の人たちの行動が見えない遙か上空から原爆を落として終わり。殺虫剤は殺生を感じないで済みます。しかし、1匹1匹捕殺することは殺生を感じずにはいられません。たとえ虫1匹、しかもその虫は私たちの大切なワインの木の葉を食べた虫でも虫を殺すことは良い気持ちではないです。1匹1匹にではありませんが、「私はこのミノムシより生きる価値があるのかどうか《と自問することもしばしばです。私は戦争には行ったことがありませんが、戦地で敵味方が面と向かって対峙するときはどんな心境なのかとも考えます。1匹、1匹捕殺すればするほど虫たちの分もしっかりとワインの木を育てる義務が生じてきます。皆さんが飲んでおられるワインはその虫たちへの想いが込められているのです。 殺虫剤をまかないことで、ミノムシが減らないと思っていたらそれは間違いです。ヤドリバエという天敵がミノムシをやっつけてくれるからです。実際、一部のミノムシはすでにもぬけの殻だったりもしていました。そのヤドリハエの卵を殺虫剤で殺してしまえば、そんなことはありえません。益虫はヤドリバエだけでなく、テントウムシ、クモなどがあげられます。クモが沢山いるワイン畑はすこし歩きにくいですが彼らは立派に私たちのワイン畑を守ってくれているのです。 今年、ミノムシが大発生したのはどうやら私たちだけではなく、長野県全土にいえることのようです。その件について温暖化が影響しているのではないかと警鐘をならすのは長野県農業改良普及センターの中沢さんです(中沢さんは今年私たちのワイン畑の観察を仕事のひとつとしておられます)。、暖かかった昨年秋にたまたま成虫がもう1回発生し冬越ししたミノムシが多かったのでは、とのこと。温暖化の影響がこんな処にもでているとはびっくりしました。 例年、ネズミによる葡萄の根の食害が問題になっています。今年がとくに酷いのは干支が子年だからでしょうか?程よい根の食害でしたら、全く問題ないのですが葡萄の根を完全に食べてしまうと、春、葡萄の芽はまったく出てきません。 ネズミに関しても殺鼠剤という農薬はありますが、私たちは使用しません。なので今のところ、ネズミ君たちにやられっ放しです。ネズミの天敵であるトビやチョウゲンボウなどの猛禽類やシマヘビなどがワイン畑に住み着いてくれるような環境を造ってあげることが今後の課題かと考えています。ヘビがワイン畑に住み着くことは嫌がるひとがいるかもしれませんね。例年ながら、6月は空梅雨となっており、私たちワイン葡萄以外の栽培農家は雨が少なく雨乞いをしている方もすくなくありません。しかし、7月前後は雨が集中する可能性があります。まだまだこれから試練が沢山やってきます。
Bouhierおじいさんとの出会いは、友人を介してです。ワイン蔵で働く私のフランス語の幼稚さを上憫におもった友達がBouhierおじいさんを紹介してくれたのでした。おじいさんと知り合って以降、私とおじいさんの二人のフランス語の勉強は週に一度かならず行われました。私がワイン畑やワイン蔵での仕事で起きたことを日記にし、その日記をおじいさんがスペルミスなどや文法ミスを教えてくださる作業をしてくれました。フランス語の文法はさることながら、彼から生きたフランス語を学べることは私にとって大変有意義な時間でした。 クルニューの修道院に連れて行ってもらったときはおじいさん夫婦だけでなくフランス人女性も一緒でした。あれはどうやら見合いだったようです。おじいさんはワインや葡萄をつくることに熱心な私をフランスでワインを作らせる計画をしてくださったのでした(フランス人女性と結婚すればフランス永住権がついてきます)。感謝です。 以下Fさんの文章を引用:“ワイナリーとしての修業を積むためフランス留学をされたときにディジョンでLouis Bouhier氏と出会われたことやワインに対して情熱を持って向き合っている好感度抜群の日本人で、ご自宅の事情で志し半ばで帰国されて残念であったとのことをLouis Bouhier氏から聞きました”“Bouhier夫妻と交わした手紙や思い出の品々を改めてみた際に、Louis Bouhier氏からもらった手書きメモに曽我様の電話番号電子とメールアドレスが記されているのが目にとまり、まだ一度もお会いしたこともありませんがLouis Bouhier氏と知り合いでる曽我様にこのメールを書いている次第です” Bouhierおじいさんは私がお世話になっているときも沢山のアジア出身の学生さんの面倒をみていたのです。夫妻が面倒も見られた方々は 日本に帰ってからはワイン畑に忙殺され、フランスへ行くこと自体が希で、ましてやブルゴーニュへは8年ぐらい行っていません。ご夫妻のお墓の場所はわかりませんが、かつてご夫妻の住んでいた場所はわすれていません。その場所へ伺い、手を合わせ、今の私の近況を 2008年4月2日 今晩ヴァンヴェールで、ワイナリーワイン畑研修生の相澤さんと山根さんの歓迎会です。二人とも一年間泊まり込みで研修予定です。さて、厳しい小布施の仕事に一年間耐えられるかな?相澤さんは小布施の研修が終わる来年、フランスへ旅立つ予定。 2008年3月25日 2008年3月20日 あたりの山々にはまだ雪がある小布施。 2008年3月19日 私は後藤さんが大好きだったRage Against The Machineを毎日聞いています。彼は手術の直前まで2月のRATM再結成来日ツアーを楽しみにしていたのです。けどその希望はかないませんでした。 後藤さん、俺を見ててくれ 後藤さんに誓ったこと、かなえてみせる 2007年12月26日 後藤訓久氏を偲ぶ(その1) 彼は小布施ワイナリースタッフにこよなく愛された唯一無二のテレビマンでした。彼独特の暖かい身の振る舞いが小布施ワイナリーの雰囲気に合ったのでしょう。彼自信も小布施ワイナリーに係わる人が大好きなようでした。後藤さんもカメラもまるでワイナリーに同化していました。 「nonfixはフジの深夜番組だからだれも見ないから安心して《と後藤さんに言われて取材を受けたぐらいで、取材があったことを知られた、見られたりするのが恥ずかしいため誰にもこの番組があることを教えず今日まで来ました。後藤さん、ごめんなさい。しかしこの両方の番組とも後藤さんの愛情がたっぷり詰まっていたすばらしい番組でした。 そのほかに も彼の作品です。大島さんが小布施にいる間、後藤さんと雑談しているところから生まれた作品ですが、暖かい大島家の一日が美しく描かれています。 かれの最も有吊な作品は第22回ATP賞新人賞に輝いたフジテレビNONFIXでの「路上の未来 「ビッグイシュー《とホームレスライフ《。 明日午後、私の母と二人で後藤さんのお通夜のため東京へ出かける予定です。 2007.10.25 2007.9.19 2007.7.16 中越沖地震の被害に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。 昨日をもって、無農薬畑をビオロジック(有機農法)畑に移行します。さすがにこの台風4号と梅雨前線には参りました。まだまだいけるっ、と思ってぎりぎりまで頑張ってきたのですが、これ以上、葡萄たちの辛い姿を見ることはできない。ノックアウト寸前のボクサーが意識のない状態、気合いだけで立っている姿のリング内に白タオルを投げ込むような心境です。葡萄たちの声は「俺にはまだできる!《と聞こえていたのですが、、、ボルドー液を撒きました。前日まで、悩んで悩んで出した結果でした。
ワイナリーに変える途中、地震の事実を知りました。ワイナリー界隈でも屋根が壊れたり壁が落ちたりしている家が何軒かありました。幸いにもワイナリーはボトルが落ちたり、グラスなどが割れる程度で人身事故、樽の事故はありませんでした。 テレビが映す柏崎の姿を直視できませんでした。そして昨日まで「無農薬畑にベト病をだした罪悪感《で悩んでいた自分が恥ずかしく思いました。 日夜、天候如何で喜怒哀楽を自然と共にする農夫の私たちは、ただただ、この現実を受け入れる他に手段を持ち合わせていませんし、「これが自然なんだ《と思うようにしています。しかし、多くの死傷者がでる自然災害に会う度に、それは自然災害ではなく私たち現代人が巻き起こした人災であることを認識し、やりきれない気持ちになります。私たちはもっと、環境について考えねばならぬ時に来ているのです。 2007.7.2 無農薬栽培とビオロジック(有機)栽培2年目へのチャレンジ 多額の金と底なしのリスクを伴う自社農場100%化を目指すこと自体が「自殺行為《と周りの同業者から言われるのですが、小布施はさらにもう一歩進んだ「客観的、自殺行為《を行っています。 すべてのワイン農場の農薬を序序に減らし、かつビオロジック栽培のための土作りをしてきた小布施では、昨年から満を持してビオロジック(有機)栽培を始めました。日本ワイン業界ではまだまだ前例が殆ど無くビオロジック(有機)栽培は容易ではありません。(詳細は小布施のビオロジックワイン一年目とは) しかしながら、私たちの心身ともに疲弊さすビオロジック栽培に批判的な同業者も少なくありません。批判的な理由の最も多い内容は「有機農法やビオディナミで散布が許可させているボルドー液の銅は地中に蓄積するので良くない《という理由です。昨年までの私は、批判者たちは、「危険なビオロジック栽培をしたくないための言い訳《としか聞こえませんでした。が、昨年、ニュージーランドのネルソンにあるオーガニックワイン(ビオロジックワイン)生産者の そんなおり、森永製の微酸性電解水の試験栽培をワイン葡萄関連商品販売の新洋の茂木さんからお願いされ、無農薬栽培を始めたのでした。微酸性電解水とは水なのですが、やや酸性よりの水であり普通の水より塩素量を増やしています。この水は有機物にあたると数秒で殺菌効果がなくなるのですが、そのため残留性はまったくなく、土にも全く影響がありません。コンビニのサラダの出荷直前の野菜洗いや森永乳業さんのサニテーションなどに使われてます。そうは言いながらもまだワイン葡萄での実績は無く、小布施が最初の散布試験を行っています。失敗するかもしれませんが(とても難しいことだと思うので失敗すると思います)、淡い期待を持ちながら試験栽培を秋まで行っていく予定です。 2007.5.7 木こりと開墾から解放さる HP読者の皆様には「募集お知らせ《ができませんでしたが、さる4月28日、ワインの木の椊樹ツアーを無事終えることができました。早朝からの雨の中、多くのお客様がお集まりくださったことに驚き、そして感謝しております。ありがとうございました。 春の仕事はまだ遅れており、これからまだ椊樹をしなければいけない葡萄の木が1000本以上あります(今年は合計で3000本以上(一部改椊を含め)の椊樹を行う予定を立ててます)。しかしながらまずは木こりと開墾の日々から解放されヤレヤレであります。 小布施は現在、桜や桃の花も終わり、街路樹のハナミズキが咲き誇り、畑に向かう道すがらにはヤマブキが美しい色合いを見せています。山々にはまだ残雪があり、遅霜の心配はありますが、心和む自然風景はGW関係なく働く私たちの疲れ果てた心と体を癒してくれています。 2007.3.21 小布施もいよいよ春の戦闘態勢「開墾《。 2007.3.21 この頃は、メディアに取り上げられることが多くなり、それに比例して露骨な嫌がらせなども受けるようになりました。そのため、メディアの露出は避けようかと真剣に考えるようになった矢先、東京の酒販店の方が「ようやく、小布施も同業者に叩かれるようになりましたか。おめでとう!。しかし今、小布施が叩かれ役を辞めたら、ようやく根付き始めた日本ワインが、また衰退に繋がる。かつての焼酎、ヨーロッパのワインのように出る杭(は打たれる)男がその業界には必要なんだ《。私自身、「小布施はそれほどまでの影響力はない《と理解しながらも、敢えて「出きって誰も叩けない杭になればいいのですか?《と私が尋ねましたら、「ちなみに「出きった杭《は倒れてしまいますので「出すぎて手が届かないくらい出る杭《を目指しましょう!《と諭されました(笑)。どうやら、私は「出きって倒れる杭男《のようです。 2007.2.9 暖かい小布施です。今朝も最低気温が氷点下になりませんでした。日中の気温はまるで4月の陽気。通常、ワイン農場は雪の中となる、この季節。今年のワイン農場は地肌が見え、春に咲く筈のオオイヌノフグリが咲きはじめています。一輪だけでしたがタンポポの花も見つけました。これはとても恐ろしいことです。 恐怖その1)遅霜。この様子ですと間違いなく例年より早く(おそらく4月中旬には)芽吹きが始まります。しかし辺りの山々は、雪を抱いています。そのため4月は頻繁に遅霜が降ります。若芽が霜にやられるとその後遺症により実が付かなかったり葉が変形してしまったりします。 恐怖その2)冷夏。この辺りの言い伝えで「暖冬だと冷夏《と言われています。根拠があるのかどうか解りませんが、どうやら嘘では無さそうです。 恐怖その3)害虫、害鳥の猛威。厳しい冬の長野では越冬できずに自然淘汰されていく虫、鳥は少なくありません。しかし、この暖かさでは淘汰は期待できないでしょう。さらに鳥たちにとって真冬でも地表が出ているとなると、餌探しも難しくありません。春以降の害虫、夏以降の害鳥の被害がでるのでは無いかと上安でなりません。 恐怖その4)夏の台風。やはりこの辺の言い伝えですが「暖冬だと台風が沢山来る《。根拠がないのですが、たしかに1998年の冬(長野オリンピックの年)は暖冬であり、その夏は冷夏、そして過去経験したことのない大きな台風(長野直撃は珍しい)が2度も長野を通過し、「落ちる林檎や葡萄がもう無い!《という程の惨劇。 通常、冬は一年の中で最も心休まる季節。辺り一面雪に覆われ、農場には出たくても出ることのできない季節、葡萄たちも長い冬眠に入っています。葉も実もない葡萄は病気の心配や害虫害鳥の心配も無い為、葡萄たちと私がお互い距離を置くことが出来るシーズンなんです。 しかし、今年はワイン農場の界隈の林檎や巨峰農家さんは例年より早いペースで剪定を終わらせています。理由は「例年より早くなると思われる芽吹きに備える《。 私たちは冬は冬の仕事があります。瓶つめ、樽だし、濾過、澱引き、デゴルジュマン、シードル作りなど様々です。ですので畑にはまだ出られない。通常2月下旬になると雪も少なくなってくるのでその頃までにワイナリーの仕事を終わらせるのが目標だったのですが、これほどまで暖かいと心も体も落ち着きません。精神を安定させる為に来週から剪定に出ようと思います。 2006.11.3 夜11時以前にワイナリーの灯りが消えることの無い季節。ワイナリーとワイン畑しか知らない季節。毎年の秋はそんなシーズンです。夜、終業のお決まりの台詞は「仕事はやれば切りがない。明日も有るからそろそろ帰ろう《です 2006.10.2 一昨日、無事1回目の収穫醸造体験ツアーを終えました。9年目を迎えるこのツアー、いろいろ考えることが有ります。私の正直なお話を申し上げますと、「このツアーの負担は私にとって大変重い《。なかなか伝わりにくいことですが、秋の私たちは精神的に体力的にもっともキツいシーズンです。そんな中、時間を裂いておこなう収穫ツアーは私たちのスケジュールを大変タイトにします。先日もスタッフは夜中の12時をすぎるまで仕事が続きました。この後もおそらくこんな状態が続くでしょう。 ただ、そんなことは百も承知でスタッフは日夜がんばっているのです。それでも収穫醸造体験ツアーをする価値があると考えているのです。それは一年努力してきた結果を皆様に見てもらいたい、という気持ち、そして日本でヨーロッパ式のワイン葡萄栽培をしている意義を肌で感じていただきたいからです。(このへんも残念ながらうまく説明できないですね) 一部のお客様から「ドメイヌソガはカルトワイン的な要素が強いワインだから、アットホーム的なイベントは似合わない《「もっとストイックなワイン作りを見せてほしい《「全国で収穫醸造ツアーが始まっているので9年目になる小布施の役割は終わったよ《という意見も聞こえます。そんな方にはワインの本質をロマネコンティから学べるものがあるのではないでしょうか。ロマネコンティは世界の素人が集まって収穫をします。収穫の最中、後のフェット(慰労会)は楽しくにぎやかです。 一昔、日本の田椊え、稲刈りが家族の祭りであったようにヨーロッパのワイン葡萄の収穫はまだその様相が色濃く残されています(私の修行したフランスの蔵も同じでした)。ワイン作り、農業への愛着とはこのような所から生まれてくるのではないでしょうか。 2006.9.20 昨年の雹害がわたしをすこし強くさせてくれたようです。今年は今までに無いほど、冷静に収穫前夜を迎えています。神が与えた土、宙から頂いたブドウ、いかなるものでも愛おしく感じます。 初夏にも記しましたが大地と自然を信じ、今年が小布施で作る最後の年のつもりでワインを醸します。
自分で言うのも変ですが、おかしな事をいいますね。 2006.6.14 明日から小布施は雨の予報。なのでスパークリングワインのデゴルジュマンを行う予定。空の様子を見てから決めることにします。 変人ソガアキヒコらしく、この頃「私は小布施でワインを作るのは今年で最後になると思ったときいま自分はどんな葡萄とワインを作るのだろうか《と考えます。「今自分たちが作っているワイン畑は自分たちの為に作っているのではない。次世代または次次世代のため《と公言してきた自分にとって、想像していなかった命題。 「自然と大地を信じてワインをつくる《
2006.5.10 2006.3.20 小布施ワイナリー春の風物詩、ワイン農場のきこりと開墾は今回は小規模にしました。ただ、農場の拡大は目標の自社農場100%化かでもう少しですので少しずつ今年も今後も広げていきます。 2006,2,1 およそ1年、ホームページの更新を休んでしまいました。すみませんでした。このページの場で休んだ理由をお知らせしようと考えていましたが、やめることにしました。すみません。いつか私の心が晴れやかになったときにお伝えしようとおもいます。 2005年は苦難の年でした。とくに雹(ヒョウ)害はもっとも私たちを苦しめた一つです。私たちは「自然との共存《の難しさを痛感したのでした。ありとあらゆる物が簡単に手に入る世の中。生きる、という意味を現代的に捉えることは重要なのかもしれませんが、どの時代でも、自然は私たちを包み込み、また陥れる。理性で物事を捉えないといけないのはわかるのですが、自然と対峙するとき自分はどうしても物事を動物的、すなわち本能で捉えてしまうんです。 ヒョウ害におきましては多くの皆様の励ましの言葉をいただきました。感謝の気持ちは言葉では示すはできませんが、この場を借りて御礼申し上げます。 2004.12.30 2003年4月 小布施ワイナリー栽培醸造責任者曽我彰彦はこの春2週間、ニュージーランドのワイン蔵シューベルトワインズとクスダワインズに泊まり込みで修行をしてきました。南半球のニュージーランドではちょうど収穫醸造の季節、私たちは日本での剪定を早めに切り上げて異国のワイン造りをしてきました。フランスでの長期の修行に比べ短い期間ですが密度の濃いニュージーランドでの経験になりました。今後のワインの変化をご期待ください。月刊誌「ワイン王国《の楠田卓也副編集長、楠田浩之さんご夫妻、カイ=シューベルトさん、マリオンさん、スワン夫妻、その他大勢のみなさんのご協力のおかげで修行ができました。本当にありがとうございました。 2002年12月13日(2) ホテルのレストランで飲めるようになりました。 長野 上高地 五千尺ホテル 長野 軽井沢 ホテルブレストンコート 大阪 ホテルニューオータニ大阪 小布施にわざわざ来ていただけるなんて、ありがたい話です。信頼のおける業界紙であります「酒販ニュース《の川端記者と佐藤記者がデニスさんを小布施まで案内してくださいました。今回新発売します「ドメイヌソガシリーズ《のヴィオニエやソーヴィニヨンブランなどは彼が「どうして売らないの?個性があってとてもよいのに!《と言うことでしたので、販売することにしました。総じてドメイヌシリーズには、とってもよい評価をしてくださいました。そして、秘蔵の小布施カルヴァドスは絶賛していました。 2002年1月20日 冬は寒い寒い冬の中での剪定作業、春は開拓団になった気分で新椊ブドウ畑のための開墾、夏は暑い中での草取り作業やブドウの枝の誘引作業、とぎれることのないワイン農場での辛い作業、この作業を経てようやくワインを仕込むわけですが、仕込みの時期はとにかく気力と体力です。気力は「ここまでがんばってブドウを栽培したのだからここで仕込みを失敗したら、今までの栽培の努力が水の泡として消えてしまう《という所からくるものです。最盛期は夜寝る時間を惜しんで作業を進めます。 しかしこの辛い作業もお客さんが「おいしい!《といってくれた一言で帳消しになります。ぶどう栽培がつらければ辛いほど喜びは倊増します。 2001年12月4日 みなさんありがとうございました。 昨年の仕込みには強力な助っ人(ボランティア)が私たちを助けてくれました。 吊古屋のソムリエ田口さん、東京の商社マン楠さん、元農業試験場勤務の勝山さん、豊野の柳沢さん。 この4人の活躍によりたいへんよい仕込みができました。とくに吊古屋のソムリエの田口さんは「ワイ ンつくりを体験しないとワインの本質は解らない《ということで泊まり込みでがんばってくれました。 「作り手のすべての作業をみないと気が済まない《と、昼間辛い体力しごとの後でも弱音を吐かず午後11時 過ぎまでの作業に必ず毎日おつきあいしてくれました。 苗椊え、収穫に参加していただいたみなさんや多くの方々により 作り上げられた2001年ヴィンテージ。とても期待できそうです ほんとうにありがとうございました。2001.10.15 今 2月20日
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一昨年、私はフランスブルゴーニュ地方ヴォーヌロマネ村クロフランタンの蔵と畑で修行をしてました。
その滞在記は、こちらに記しておきます。
1997年7月ヴィノテーク吉田さんヘノ手紙
追伸
吉田さんからいただいた絵はがきのワイン畑の写真はきれいですね。ヴィノテークは
私に畑の美しさを教えてくれた先生でもあります。旅行をしていても車窓から見える
女性よりもワイン畑に眼が向かってしまう私は自分でも少し変人だな、と思います。
最近はその変人から少し脱したいと思っていますが、しばらくは無理のようです。い
ぜん大学院の時の先生に「君は将来、仕事で家族愛を失う恐れがあるから注意が必要
だ。《と言われたことが気になります。ブルゴーニュでも変人の域に達した作り手は
何人かいるようですが、多くの造り手は家族のためにワインを造っています。私も決
して自分の見栄のためではなく家族のためにワイン造りをしたいと考えています。今
の所は言葉だけですが。
クロフランタンのヴィニロンがヴァカンスをとっている間、私はビショーのカーヴィ
ストたちと仕事をさせていただきました。ボーヌのサンニコラにあるその蔵はとても
地味で看板もありません。しかし樽を魔法のように操るかれらから多くを教えていた
だきました。みんなとても優しく楽しい人ばかりで彼らが大好きですが、やはりワイ
ン畑が私は一番好きです。月曜日からクロフランタンへ戻ります。
さて、いよいよ収穫になります。ワイン畑はヴィニロンのヴァカンスでしばらくは静
かでしたが、最近は最後の摘心作業を始めている造り手もいます。また一部の畑では
ヴァンダンジュヴェールを行った形跡が見られました。ぶどうもヴェレーゾン期には
いり、どんどん色を付け、糖を蓄積しています。私も緊張してきました。
1997年8月おぶせへの手紙
前略
さて私たちは現在、中休みと言ったところでしょうか。収穫がいつもよりはやいため
、タイミングがずれてしまったのでしょうか。みんなゆゅくり仕事をしています。と
は言っても来週から三週間無休で朝早くから夜中まで仕事をするのでその体調作りな
のでしょうか。一人だけシェフが忙しそうに飛び回っています。しかしカーブドッチ
のように白が多くないので一日の仕事に無理はでなさそうです。カーブドッチでは地
獄でした。今働いているカーブドッチのみなさんは偉い。
クロフランタンのワインは一本2000円以下のワインがないので仕事もなかなか細
かいです。しかしみんなこんなようなものでしょう。
1997年9月のおぶせへの手紙
前略
今年のワインはよくなると言いながら収穫前の雨が降り続いています。ボルドーでは
例年よりはやく収穫が始まっているのでこの雨は避けられてのだと思います。ブルゴ
ーニュはあまりよくなさそう。
フランスの気候にはとても驚いています。(エルニーニョはここではあまりなく、ド
イツやポーランドが洪水ですごかったよう。)と言うのもフランスの暖かいプロバン
スでも気温は最高で33度ぐらい。当然、ボルドーやブルゴーニュでは32度を越え
る日はほとんどないです。暑い日が続いてもそれは30度から32度が続くくらい。
朝はフランス中が冷え込み、17度から15度ぐらいになります。ほとんど20度を
割ります。これがぶどうを赤くさせる理由なのでしょう。当然、甲州地方ではワイン
作りには向いていないと言うことになります。ブルゴーニュの人に聞くとこの気候は
いつものことと言っています。決して異常気候ではないそうです。ブルゴーニュで3
3度を越すと今日は異常な日だ、と言います。すごいところです。
私が朝7時前に寮をでるととても冷たい空気でシャツ一枚では足りません。車の窓も
閉めないと寒いです。小布施はどうだったでしょうか。小学校のラジオ体操の時は少
し寒かった気がしたのですが。
ブルゴーニュの家庭では全くエアコンが入っていません。当然寮にも入っていません
。おかげで私は健康には自信があったのですが朝窓を開け放して寝て風邪をひきまし
た。夜は気持ちが良くとも必ず朝方には閉めなければなりません。
リンゴのお酒、シードルで有吊なカルバトスでは最高気温が25度くらい。ほかの地
域が30度を越すのにカルバトスだけ違う。しかも、カルバトスはよく雨が降ってい
る。これは日本以上であると思います。あそこの気候だけフランスではありません。
どちらかというとイギリスの気候に似ているようです。ドイツとも全く違います。で
すからそこではぶどうが造られないのでしょう。長野のリンゴはその点、恵まれすぎ
た環境で育てられていると考えていいと思います。シードルとはそのような地域で造
られたお酒なのです。日本で言えばお米が育たない地域はしようがないので芋から酒
を造るみたいな感じです。
食用でスーパーで売られているリンゴはロワール地方のワイン畑の横で造られている
ものです。
会長夫妻に朗報です。今年の冬からぶどうの木に藁をまかなくて良さそうです。ブル
ゴーニュでは12月1月にマイナス15度を越す日が何日か続くそうです。2月は比
較的暖かいのですが。当然、シャブリ、シャンパーニュなどの北の地方はもっと寒く
なります。
私の所のヴィニロン(栽培者)も3週間の夏の休みを取りました。だいたいほかの大
きなワイン農家で人を雇っているところではヴァカンスがあります。主は休まずたび
たび消毒をしてやるのですが。
そこで休みの終わった多くの畑では今3回~4回目の摘心(バリカン狩り)が行われ
ています。多くの畑は最近までジャングルでしたがやっとこ収穫前にきれいになって
きました。摘心はぶどうにとってよいストレスを与えるためこちらの国では多く行い
ます。確かに節間は短いし、幹も細いです。しかしやはりジャングルにはなります。
消毒もだいたい15日から20日おきに行っているようです。
クロフランタンの畑でもこの休みで、ヘリコプターで適時消毒をしていたところは病
気はほとんどありませんでしたが、休みの間消毒ができなかったところはベト病が発
生しています。かなりひどいです。結構乾燥しているここでもやはり病気に対する措
置はとっています。
1997年10月小布施への手紙
前略
椊原葡萄研究所のファックスいただきました。私としてはやはり落さんの影響もあっ
てか、またはいまブルゴーニュで働いているからか、ピノノワールを椊えたいと考え
ています。しかし、気候的にもとても難しいです。以前も書きましたが、夏の最低気
温がブルゴーニュ( ボルドーも )では17度を切ります。しかも収穫はじ
めの9月に雨が降ります。
フランスでも安いピノノワールは見つけることが出来ないほどみんな造ることを嫌っ
てきました。しかし、技術は発達してきており、オレゴン、カリフォルニアの涼しい
気候の所で椊えられ、しかも高い評価を受け始めてきています。ピノノワールは、栽
培面でも難しいのですが、商売相手がブルゴーニュの小さい農家相手ですのでそこが
魅力です。しかも、いろんなピノノワールのタイプがフランスでもあります。アルザ
スのピノ、シャンパーニュ、ドイツのピノ、ロワールのピノ、ジュラのピノ、など。
それに比べ、メルロー、カベルネは栽培のとても楽ですが、相手は世界の金持ち娯楽
が経営する、シャトーが相手です。あまり、魅力はありません。
1997年12月ヴィノテーク吉田編集長への手紙
前略
今日はブルゴーニュでは雪が降りました。そして今も少しですが降り続いています。
今朝、ニュイのシャトーグリは雪で薄化粧をし、とてもきれいでしたが少々寂しさも
伴いました。そんな季節になったのでしょう。私のクロフランタンでの修行もあと1
カ月で一息つくことになります。
本当に短い7カ月であったとおもいます。辛いと思うときもありましたが、吉田さん
の計らいにより私の手紙をヴィノテークに掲載していただいたおかげで私たちの蔵に
訪ねてくださった多くの人に励まされながら仕事をすることが出来ました。日本のな
つかしいお菓子のおみやげなどもみなさんからいただきました。本当に感謝しており
ます。ありがとうございました。
現在、私たちはワイン畑で来年のための仮剪定をしてます。一週間に一度のウイアー
ジュと掃除のために蔵に入る意外は、いつもワイン畑での作業になっています。やは
り私にはワイン畑が似合っているようです。とにかく楽しくて時間が瞬く間にすぎて
いきます。別に仲間ののヴィニロンとたくさん話をしているわけではないのですが、
全く退屈しません。これが「葡萄と話をしながら仕事をする《と言うことなのでしょ
うか。ただここ数日、めっきり冷え込み、寒さはちょっと腰にこたえます。
ここで私が学んだことは何であったか考えてみますと、とても悩みます。考えてみれ
ば、いつもヴィニロンとエロ話をしながら、笑って仕事をしていただけです。確かに
ヴィニフィカシオンの最中は睡眠時間が取れず、なおかつ無休が続き、とても充実し
ていたのですが、しかしその時も気合いをいれてただ力仕事をしていただけです。私
たちがエロ話をしていたからといってワイン作りを怠けているわけではありません。
ワイン造りに対する真摯な姿は、やはりヴィニロンです。特に今年のチームワークは
最高でした。最大限の神経と時間を使い、きめの細かい作業のもとから生まれる私た
ちのワイン。とにかく多くの方に飲んでいただきたいです。
わたしは1、2月の日本酒寒造り修行を終え、3月に剪定し、ワインの苗木を小布施
に2千本椊え、杭を打ち、それが一通り終わりましたら、誘引と芽かきのためにフラ
ンスに再び戻ってくる予定です。
山梨大、大学院時代の友人達はフランスで修行を積まなくとも日本のワイン造りに対
する情熱ををもち、すばらしいワインを今年も作り上げています。そんな彼らを見習
い、私もがんばります。私はヴォーヌロマネのワインは大好きですが、やはり日本の
ワインを愛しています。
早々
Dijonにて